世界のビックリ、ドナルドトランプがアメリカの大統領選で勝った。隠れトランプが想起した。草莽の強さを思い知った。「桶狭間の戦い」ってあるんだな。日本の政府とマスコミが一番あたふたとしている。正確な情報をリベラルにいれないマスコミ。政府の読みの甘さ。外務省の劣化。選挙期間中にヒラリーにだけ会いに行ったどこぞのオッチョコチョイ。こんなこと全部トランプは覚えているんだ。なんせビジネスマンだからね。ビジネスの世界ではあのオッチョコチョイが一番嫌なヤツであるからね。もう取り返しはつかないだろうから強気な外交で行くしかないだろう。日本が過去に戦争に負けた理由が分かるような気がする。一方ヒラリーは敗戦の弁がなかなか良かった。こんな演説を選挙中にしとけば勝てたかもしれない。しかし大体が「男尊女卑」の国だから彼女の言うガラスの天井は破れそうで破れなかったのだろう。ここでdivide。またトランプがなったことで「アイツがなれるんだったらオレも」というのがいっぱい出てくるだろう。ここでdivide。接戦だったから賛成、反対にしこりを残してdivide。アメリカはdivided nationになっていくのかな。
日本では大騒ぎなんだけどニューヨークではそうでもないらしい。アメリカの大統領選挙。ニューヨークタイムズのヘッドラインは「I've got patience」だった。選挙の記事でね。どっちがより嫌いかで選ばなくてはいけないからとか。だからあまり盛り上がってないということだ。盛り上がっているのは日本。朝からこのニュースばっかり。クリントンが優勢。トランプになったら困るという論調がメディアの主流。今日の午後には結果が出るとまるで自分たちの選挙のように盛り上がっている。TPP反対の二人の候補がイギリス同様に反グローバリズムを掲げて動き出そうとしているのにTPP批准と世界の潮流に逆らってグローバル化に拍車をかけようとする日本がヒラリーがなったら得だトランプでは損だと言ってるのもおかしい。どちらがなっても日本はバスに乗り遅れてると思うのだけど。ただ、昨日のテレビで面白いことを言ってましたねニューヨーク在住の教授でしたっけ。女の人でしたけど「ヒラリーはシカゴ近辺の育ちなんだけどシカゴ訛りがまったくなく言葉に透明感がありすぎる。だから親近感がない」とね。言葉って重要。分かるよね。アメリカンの決定。さてどうなりますやら。隠れトランプというのもいるらしいから混沌。
もう10年以上も前から使われているという「中食」という言葉を昨日知った。「孤食」という言葉も併せて。どちらも変換すればすぐ出てくるから定着した言葉なのだろう。外食に対しては内食という言葉も使われているとのこと。世の中の変化は食卓からでしょうか。「中食」は(なかしょく)と読むのだそうだ。出来合いの弁当や調理された食品を買ってきてオフィスや家庭で食べる食事のことだという。「孤食」は字の如しだね。シンガポールなんか中食や外食が食文化なのだから世界的に見れば何ということもないのだけれど。「山食」をメインに何でも工夫して食うをモットーとしている身にとっては面映ゆい。出来合いのものを買うこともありますがそれがメインということはないのでして料理はそれにひと手間かけるところが面白いのでありまして云々。まぁ人それぞれなのでしょうが野人でいたいので食い物は自分で工夫して食べようと思ってます。昨日の昼食は炭を熾してサンマを焼きました。これがもう堪えられないくらい旨かった。炭火で丁度に焼けたサンマにもぎたてのブシュカンを絞って。いやぁ、うまかったです。「中食より昼食」いや、山食がベストだ。
雨 を描いた。Janis Joplinのroseを聴きながら。
some say love it is a river That drowns the tender reed ~・・・
I say love it is a flower And you its only seed~
なぜか知らないけどこの詩がこの絵にふさわしいと思った。ただそれだけのことだけど。種もしなびてしまえば花咲かないからなとブツブツ。でも腐っても鯛だからなとブツブツ。お前もいつかは世の中の傘になれよといわれても傘持ってないものなぁとブツブツ。こんなブツブツ思う日には雨を描きたくなるものなのだろうか。
木守柿って風習は知らなかったのですが僕らは自然と柿の実は鳥や蜂と共有と思ってましたから鳥にも蜂にも残してあります。これが豊穣を願う風習だったなんて知る由もありません。自然と自然を守るって動物と食べ物を分け合うってことでしょう。それが身についているだけなんですがちゃんと農村文化として残っていたんですね。そういえば木の上の方の枝に数個残っている柿の実を見ると木を守っているように思います。人と自然は工場生産のように生きてきた訳ではないということがよく分かります。昨日のことでしたかスミノフが「狸が死んでた」と教えてくれました。ウチの裏の家の柿の実の落ちたのを食べに来てたあの狸でしょうか。誰かに殺されたのでしょうか犬に咬まれたのでしょうか。車に轢かれたのかな。なぜ死んだかは知りませんが「狸がいるって私はいいことだと思うけど」ってスミノフが言ってました。オレもそう思います。それだけまだ自然があるってことですからね。いつもは柿の実が落ちなくなったらどこかに姿を消していってた狸。木守柿を見上げては「来年もね」と呟いたことでしょうに。死んでしまったのですか。でも家族連れだったからまた誰か来てくれるでしょう。
蚊が少なくなってきたので畑での昼食は「おでん」にした。勿論、セットおでんが基本なんだけど足らないものを継ぎ足して割と本格的おでんに出来上がるように具材を選んだ。畑にある鍋では小さすぎたので車からコッフェルを取り出して深い鍋を使う。予め煮て味をしみこませた具材とセットの具材を入れてゆるゆると温める。近くの作業場のお昼のサイレンが鳴るころには丁度の塩梅だろう。その間にお茶を沸かす。今日は土佐町留井産の新米を炊いてきた。香りがよくて甘みがある飯だ。袋に「農家自慢のお米」と書いてある。そうなんだろうとフードジャーを開けた時にそう思った。サイレンが鳴って下の段からバジルが上がってきたのでおでんの鍋を火からおろしテーブルに乗せる。「さぁ好きなものから食べてね」「アッからし忘れた。まぁいいか」「関東じゃ、ジャガイモをいれないらしい」「ジャガイモがなきゃおでんじゃないよね」とかおでんの話だけで昼飯を食う。これもこの季節だからかな。少し寒くなってきたらこんな温か物がありがたい。「今年は柿を早く取りすぎたな」なんて農家のおやじみたいに青く澄んだ空を見つめて言ったりして卵おでんを頬張る。
鳥形山は駐車場からの見晴らしはいいけどそれだけの山だった。森林公園というのだけど誰も来てないみたい。歩いて15分くらい行くと展望台があってそれだけ。発破のサイレンが鳴り響いて山というよりは採掘現場みたい。発破の最中は危険とのことで町道は封鎖だって。いずれはこの公園も削られてなくなるのでしょうね。それがいいことかどうかは別にして展望台まで登っていると北風が吹いて寒いのでウインドブレーカーを着ると言ってシェルパ君が最後尾で荷物を下ろした。山じゃないから待つまでもないだろうと先に行ってたら分岐のところを過ぎてから気づいたんだけどオレの後ろを来てたマジメ君の姿が見えない。山じゃないんだからと遊歩道を進んで先に展望台についてガムシャラ君と景色を眺めているとシェルパ君が来てマジメ君が来てない。「あいつ、道端にうつ伏せに倒れててな。焦った」「どうしてまた?」「貧血起こしたらしい。それで起こして座らせてきた」「それじゃオレが先に下りてアイツのとこへ行くわ」と坂を下りるとマジメ君が座っていて「もう大丈夫、でも、車で待っている」という。「そうかオレも降りるから荷物持とうか」「いいや、大丈夫。ちょっと吐き気がしただけだから」こんなことで山の事故って起こるんだよね。山じゃないからっての気の緩みで。心臓発作や脳梗塞なら手遅れだぜ。と反省。幸い軽い貧血で済んだけどここが石立山なら倒れると同時に滑落だからね。何が起こるか分からない「おジイ登山隊」。車で熟睡して起きないマジメ君を見て「おい死んでたらどうしような」とまだ遊べる余裕はあるのだけど近い将来に現実になる可能性が否定できないというのがツライね。
今日はいいお天気なのでピクニック。鳥形山に行く。山と言っても石灰採取のため山頂が250mくらい削られてしまったから鳥が羽を広げたような山だったけど今では鳥が飛び立ってしまった後のようになってしまった。森林公園として再生したということだがそれを見に行く。登山ではないので装備は軽い目、弁当重い目で行きます。寒いのかなと思ってたらそんなに寒くないのでトレーナーにする。山にトレーナーで行くのは久しぶり。それでは行ってきます。
急に寒くなった。半袖の人もいるしセーター着てる人もいたりしてダウンのベストの人もいる暑さ寒さは人それぞれか。それでも昨日から急に寒くなった。僕は冬山に体を慣らすためにTシャツに半パンでいる。これが効果があるのかどうかは分からないがなんとなく気分でそうしている。が、年取ると皮下脂肪があるなしにかかわらず寒い。2日前まで暑いと言ってたのに人間の勝手は感覚が優先するのだ。その感覚が近年鈍くなったらしい。これが劣化なのか進化なのか分からないが感覚が鈍くなるということは花鳥風月が分からなくなるということだろうか。例えば短歌に歌われたことなんか理解不能となるのかな。想像力って感覚から生まれるものだろう。感覚は安全につながるだろう安全に鈍いということは今の話題で言えば「盛り土」は安全かどうかということ掘り下げないで「盛り土」をしなかったことだけを問題にしている。「盛り土」をしないほうがより科学的に安全ですという反論がないのがこの問題の不思議だね。実証すればいいだけの話なのに。
「等外」という酒を買った。「獺祭等外」というのだ。「ダサイトウガイ」ではなく「ダッサイトウガイ」という。要するに基準外の山田錦を使って磨いて作った酒ということだ。精米歩合35%。一番人気は23%ということだったが店にはこれしかなかった 。 「等外」と言われるとまるで自分みたいで「人生下手糞」を地でいってる自分が飲む酒だろうと直感で思ってしまった。後で知ったのだが正規の「獺祭」は安倍ちゃんがオバマに飲ませたとか贈ったとかした酒らしい。そういえば「獺祭」は山口の酒だったなぁ。オバマが飲むのは正規の「獺祭」オレが飲むのは「等外」それでも正規に引けは摂らない。これってロマンだと思わないかい。そう思ってる人が多いのか「等外23」がいま、一番人気らしいよ。味はフルーティで米の香りが醸し出されて土佐の酒に似ている。キレとコクがあるから土佐でも勝負できるよなと思う。酒は土佐が基準だから俺は。「志ら菊」「美丈夫」「亀泉」「南」この辺りと似てるね。「土佐鶴」「司牡丹」の上等酒も似てるかな。県外の酒屋って売り出し方が旨いな。高知の酒屋は「おらんくだけ」でいいんだから。個性豊かな地酒が多いのに。宝の持ち腐れってやっぱり等外?。