フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

オレンジムーン

2010-01-31 09:56:06 | Weblog
昨夜はオレンジの大きな月が取ってくれと言わんばかりに輝いていた。昔映画で見たサバンナの夕陽のようでもあった。突然モームの「月と6ペンス」を思い出した。ゴーギャン伝といったような物語でしたっけ。もう忘れてしまったけれど6ペンスはなんだったんだろう。6ペンスないと何が困るんだろう。月は取りたくても結局手が届かないから夢だろうけど6ペンスは。当時1食分のパン代か。ハーフパイントの酒代か。ゴダールが「気狂いピエロ」と言う映画でピエロのせりふに「夢を追う男は、絶えず現実から裏切られる」と言わせていたね。「Le Fou」と波止場で叫ぶんだよね。あのころのフランス映画、面白かったなぁ。しかし、それからアメリカの市場を狙ってというか媚びて英語で作ってしまったりして面白くなくなってフランス映画は衰退した。何だか中国の市場に媚びて自分を見失ったアメリカにも似ているね。やっぱり昔から「月と6ペンス」なんだから夢と現実のバランスの中で自己を見失わないことが肝要。6ペンスでパンか酒かと言われたらやっぱりパンかな。
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奴隷の発想じゃ国は作れない

2010-01-30 12:25:45 | Weblog
奴隷の発想では国は作れない。連帯ガ結べないから。アフリカの紛争を繰り返している国は、大抵が解放奴隷の国らしい、アメリカがそこへ彼らを連れて行き国を作れと言ったらしい。見よう見まねではじめはやってたけど金が目の前にあるからちょっとつまんでと言うことですぐに私服をを肥やすことに専念してそいつのことを見てたやつが俺もああなり手恵那と思ったらゲリラになってひとあばれ。これで内戦。Akライフルもって子供兵士を作って
かわいそうな写真送って義捐金を待っている。やはり奴隷の思考では国は出きない。最近オバマが腰抜けと言われ始めたのもこのエキスがどこかにあるのかな。移住した黒人が地元の黒人を差別するんだってね初めて知ったよこんなことじゃ100年かかっても国はできないね。でもアメリカは、オバマでいいんじゃないの。国民性として何かを積極的に行動しないとおさまらない価値観の国だけどオバマになってからゆったりとしているところがいいと思う。別に世界の警察にならなくていいし世界のトップでなくてもいいから。パイはきまっているんだからバランスがとれていればいいんじゃないかな。ちょっと大人しいと存在がないような批判はいただけないな。やっぱり、有色人種と白人種の根本的な違いなのかな。「金は天下のまわりもの」なんていったらワスプにあきれかえられるだろうな。オバマがチェンジできないと1年たったから抑えられてた勢力がそろそろマスコミを巻き込んで逆襲してくるからシャープな彼の頭はアフリカの発想か、アメリカの発想かそれとも禅か、ロシア、中国、アメリカは、政治的には面白い存在であるね。鳩ちゃんもこの一画にはいれるようにがんばってね。日本がいなきゃ世界は面白くないんだから。普天間も世界がおどろく日本的な解決を期待してますよ。
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サリンジャーが死んだよ

2010-01-29 10:27:59 | Weblog
朝のラジオでサリンジャーの訃報に接した。91歳だったと。ついにこの時が来たのかという実感。ニューハンプシャーでと言っていたね、自宅で亡くなったのかしら。詳しくはわからないけど今日がバナナフィッシュには最良の日だったのかな。サリンジャーと言えば「ライ麦畑でつかまえて」野崎孝さんの訳が絶品。目から鱗の本だった。青春のバイブルと言えるかもしれない。この本を知ったのは、伊丹十三さんが、まだ一三と名乗っていた頃に書いた「おんなたちよ」のなかで紹介されていた一文を読んだ時だった。一三は、「ヨーロッパ退屈日記」で「女達よ」は十三になってからだったかな。学生の頃だものちょっと記憶が定かではない。そこに書かれていたのが理想の女性として本の中ではサリンジャーの「キャッチャーインザライ」が一番好きな小説でと言うところがあってそれではじめて田舎の少年は「サリンジャー」を頭の中に叩き込んだ。それから1年か2年かして本を買って読んだ衝撃、完全に参ったと言う感じ。次は原書を買って読んでみたけどあの当時のスラングが全く分からなくって時間はたっぷりあったけど途中でやめた。アメリカ人は、これよんで笑うんだから偉いなと変な感心をしてた。それからサリンジャー三昧で小品から中篇とほとんど読んだ。サリンジャーの研究とかいう類の本は読んでないけれど。死んでからも「相違ことは、ホールデンが嫌うから」とか分からなければ「シーモアに聞いてください」とか「フラニーに気をつけてやってくれないかゾーイ」とどこかで言っていそうだな。彼らの純粋さ、僕の中にもある。90%は、でたらめだけど、してはいけないことは、してはいけないという頑なさというか凄くとがったクリスタルのような純粋さ僕の中にあることをサリンジャーから教わった。サリンジャー先生さよなら。
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もう寒波は来ないって

2010-01-28 10:20:24 | Weblog
すごい、あさ16度だよ。もう春真っ盛りと言う感じ。もう寒波は来ないってほんと?春の衣装ださなくっちゃ。結局冬物もフルライン並ばなかったのにはやくも仕舞うのですか?これはこれで少しいやになりますね。せっかく冬にしか出来ない服の着方を楽しもうと思っていたのに残念。先日、知り合いの女の子が31かの前厄で四国なら徳島の薬王寺と言うところへお参りというか厄除けに行くんだけどそこに行って引いたおみくじが「凶」だったって。笑っちまった。まさに春の椿事だね。でも本人は、真剣に気にしてたから「これ以上、悪いことはないからさ、良かったじゃない」って言ってあげたら顔が綻んで「うん、後はあがるだけだから」と自分に言い聞かせるように言ってたのが印象的でした。今の若い人って、占いブームの時に多感な頃を過ごしているからか俺達よりはるかに信心深いんだね。真顔なのが面白かった。信じ込まれたら困るからあんまり実しやかな冗談は言われないなと納得。
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梅の花は咲いていた

2010-01-27 19:12:22 | Weblog
今日は、お花見くらいの陽気。1月でこんなにぽかぽか陽気あったかなと思いながら公園を歩いていると梅の香がふんわりと。2月初めくらいに梅見に出かけるんだけど隅の一本の梅ノ木が7分咲き。


「知らなかったな」鼻をクンクンさせて梅の香りを愉しみながら花をみあげていた。よく見ると他の木にもちらほらと花が咲いている。今年は早いんだ。温暖化の影響なのかな?冬来たりなば春遠からじですかね。今年は、本格的なコートとかセーターをまだ出してないのにこのまま冬は終わるのでしょうか。もう一回くらい逆襲があるのでしょうか。昔のように、冬は冬、春は春であってもらいたいね。
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一枚のメモを渡された

2010-01-26 20:34:13 | Weblog
今日県立図書館へシャラーモフの本を借りようと思っていったら「龍馬伝」の影響というか当然と言うか龍馬に関する本の特集がしてあって中央の本から地元の本までズラッとメーンの書棚に並べられていた。「俺の本がないな。市民にはあるのに」なんて軽口を叩いていたら初老の男性が「これをあげます」と一枚のメモをくれた。その人は、さっといなくなったけど開いて見ると「坂本龍馬の伝記は既往の諸事項と大きく違います。」とタイトルがあって、以下8項目+4項目の違いが簡単に紹介されていた。この手の地元郷土史ファンというのは、中央の御用学者と違って歯に衣着せぬ論法と真実に触れているかもしれない真実を田舎くさい語り口で話してくれるから嫌いではない。そのさわりによると、「龍馬が殺されたのは近江屋ではない。(当時は存在しない)郷土史家 松田智幸氏が古文書を深く読み解いたところによるとそれは「土佐藩が借りていた御巳屋である」と。面白いね。政治的に抹殺されると未来永劫犯人は挙がらないよ。自分も多分、「薩長土」の陰謀説が正しいのではないかと思っている。当時は誰かがリークしたはずなんだろうけど消されたと見るべき。だから真実はアンダーグラウンドの郷土史家かブラックジャーナリストにゆだねられたんだろう。政治的というのは、JFK もそうだけど無理やり信じ込ますと言うテクも入るから余計に目が曇るんだ。こういうことの詳細が知りたい人は、googleで「ボケチャンの独り言」で検索だって。
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スコーン焼けました

2010-01-25 20:12:18 | Weblog
スコーン焼きました。デジタル計量はかりで200グラムきっちり計って、こんだけきっちり量ったのは初めてだ。バター60グラムと量ってさて牛乳はどうしたものかレシピでは110ccと書いてある今日は、デジタル量りのために長尾智子さんのレシピを見てるんだ。こんなに牛乳使ったことないぞと思いつつヨーグルトいれようとか無添加の緑の干し葡萄があったっけ、いれようとここでレシピから逸脱。余分なものを淹れたから70ccくらいで牛乳は済んだ。隠し味に蜂蜜少々。これで、フェンネルさんちのスコーン出来上がり。


熱々のところをケーキの箱に詰めてバジルんちへ持って行きレディグレイを淹れてアフターヌーンティーならぬモーニングティーというかビフォアヌーンティーを愉しみました。スコーンは、大雑把な自分にあってるのかプロの域に近いなと自画自賛。何でも、英国では、夕食が遅いから、夕方前に何かを食べる習慣ができて簡単に作れある程度腹持ちがいいスコーンが定番になったとか。アングロもゲルマンも夜遅くまで働くからね文化があってのスコーンなんだ。美味しいとこだけとっていいのかな?と思いつつもたまにだからいいのかとすぐ妥協。「ああ、美味しかった」とバジルの声を聞きながら昼飯は何にしようかなと考えていた。
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デジタルお料理はかり

2010-01-24 19:11:58 | Weblog
僕は、出鱈目B型だから、ケーキ、クッキーは、計量が命、と口すっぱく言われたけれど相変わらず目分量でやっている。完璧なものは出来ないけどそれなりのものは出来るからそれでいいかと思っていたら、昨日、バジルから誕生日のプレゼントに「デジタルお料理はかり」を貰った。お皿を置いて0を押すともうそのお皿の重さはないものとして上にのせた粉の重さだけを量る優れもの。ウ~ンこれは面白いから利用するかも。直線ってじぶんのせんじゃないから曲線のぐるぐる巻きが丁度の僕にでもキチンと量れるからと言われるとよわいな。「これで、明日きれいに量ってスコーンを焼いて持ってきなさい」だなんて作らすためにくれたのかな?まぁ、いずれにしてもありがとうだからこれもしかたないか。明日は、200グラムきっちり計って僕の得意のスコーンを焼いてあげよう。エゲレス人もまっさおなんだから。
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誕生日に死ぬかと思ったこと

2010-01-23 21:22:05 | Weblog
ついさっき、去年の誕生日を迎えたばかりと思っていたのに早くも今年の誕生日を迎えてしまった。今日は、朝から調子は良かったんだけど何故か不吉な予感がしていた。朝ラジオをつけると音楽が「久しい昔」だった。そのつぎが「さらば青春」なんだかあてつけみたいだなと感じたのが悪かったのかこれが序章だった。昼から頭が痛くなって目の奥が痛んで吐き気がしてよもや脳梗塞の前兆ではないかしらと思いつつ仕事先から命からがら帰ってきてしばらく横になっていたが今日は、誕生日ということでマーチンとこでパーティを用意してくれているからと頭が痛いままバースデイケーキを作った。自分で自分のケーキを作るのだからちょっと普段より味を変えてクローテッドクリームを使って生クリームと一緒に混ぜ込んだ。これが、うまいんだ。


でも、頭痛いからデコはものすごく大雑把に盛り付けたと言う感じ。マーチンとこでもケーキ用意してくれていて蝋燭に火をつけたらその数の多さに改めて驚くやら愕然とするやら。



保健の先生のマーチンの見立てによると「肩凝りがヒドイ」ということで頭が痛くなるらしい。肩をもんでもらうと幾分楽になったからそういうことだったのかとまずは安心。もう一時は今日死ぬのかなと思うほどひどかったから。マーチンに「コンドロイチン」なる薬を貰ってまぁ、今日は様子見だって。脳梗塞でなくよかった。プレゼントは、虫眼鏡と姿勢矯正座布団、ブランケットにマフラー パウンドケーキの型、ストラップ、キーホルダー ラベンダー色のトレーナーと多彩でした。いつも死が隣にある年齢に僕もなったのかと今年の誕生日は、自覚した。
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命とは

2010-01-22 19:36:10 | Weblog
昨日のニュースでどこの町だったか忘れたけれど91歳の夫と84歳の妻が買い物に行っての帰り道、踏み切りの中で妻が動けなくなって何とか助けようとした夫と共に列車に轢かれて人生を終えた。仲のよい夫婦だったそうな。そこまで生きて何も列車に轢かれなくともと言う気持ちと一緒に死ねてよかったねと言う気持ちが混同した。事故は、悲惨だけどなぜかさわやかに感じている。それは、一瞬でこの世から去ったことがよかったと思っているからかもしれない。高見 順の何とかって言う詩のように若い英語教師が黒板に書かれた文字をさっさと消して新しいリーダーを小脇に抱えて「それでは、諸君」と言って教室を出て行った。私も、そのように人生を去りたいものだっていうようなのがあったけどそのことを思い出していたのかもしれない。そうおもっていたら、今日は、アメリカのどこかの町で排水溝の中で生まれた9匹の犬の子をみんなで地中に埋まっている排水溝を掘り出して穴を開けて全部の犬の子を助け出しただなんて命は不思議だね。助け出された生まれてそんなに日がたっていない小さな犬の子の柔らかな体に命を感じた。あのうれしそうなアメリカ人の顔。失くす命、助けられる命。自分のものではない生かされているのではないかとふと感じる。
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