フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

apre's moi le De'luge

2011-10-31 07:57:26 | Weblog
ルイ14世だったか16世だったかが言った言葉「apre's moi le De'luge」(後のことはしったことか)今日ラジオで玉木さんが日本の政治についてこの言葉を紹介していたが僕は、このことを神の台詞ではないかと聞いた。3.11その後の原発事故、タイの洪水、アメリカの雪・・・これは分を超えた人間への神の怒り。もう神が見捨てたという証ではないかと。もし救う神があるとすればタイの洪水の水面を割って導く道が出現するのか?冬が来る前に東北が復興できるのか?飛び散った放射線物質はかいしゅうよりできるのか?雪は元の季節でふるのか?
後のことはしったことか・・・コレは、泥鰌の言葉ではなく民主党の言葉でもなく神の言葉だったとしたら恐ろしい。「treat or trick」ハロウィンのように選択できたらまだ望みがあるのだろうが。
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TPPで開国?

2011-10-30 07:32:12 | Weblog
まるでペリーが浦が沖にやってきて開国をせまったような雰囲気だ。反対派を抑えて通商条約を結んだ井伊大老は暗殺されたが条約は生きたままで不利な条件を幕府は飲まされたままの開国であった。当時は軍事力の差が背景にあった。しかるに現在、ナンの脅威があってアメリカの言いなりにならないといけないのだろうか。アメリカの国債を80兆も買ってあげてる国だというのにまったく交渉力がない。またまたやたらと似非文化人がテレビに出てきて人心を惑わそうとしているが誰も彼らの言うことに耳貸さないだろう。泥鰌はAPECで交渉参加を発表を決めて、はじめに結果ありきの話だから始末に悪い。なんでこのボロ内閣が誰も決められなかったことを次々と決めようとするのだろう。解散総選挙で国民に信を問うべきではと思うんだけどな。確かに民主党政権になって国民は政治の話を良くするようになったし国会議員がバカだということも良く分かったけどまた彼らが国を運営できないということもわかった。そんな彼らにできるのはアメリカの案の丸呑みだけだろうからはなっから交渉なんていうんじゃないよ。もっと独立国として自覚を固めた上で見極めなければならないと思う。
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天は二物を与える

2011-10-29 08:45:25 | Weblog
いま土佐清水の方で避難生活を送っている元盗電の原子力設計技術者の人が91年にもフクシマ原発で海水漏洩による発電機の動作不良の事故を起こしたと言ってた。このぶんなら津波が来れば必ず同じことが起きると当時の上司に報告したけどとりあげられなかったと今日の新聞に載ってた。だから彼は、フクシマの事故の時炉心溶融つまりメルトダウンが起こると確信してたというから何で政府は保安院だとか原子力委員会だとかの言うことを聞いて現場の声を集めて解析しなかったんだろう。後の祭りか。「なさけなくみっともなく人に冷たい国」と今の日本は言われているらしい。だれも財務省の官僚にこの国の未来を託したわけではないのにと腹立ちまぎれに庭の木の余分な枝を払おうと塀の上に上がると目がまわった。老いては子に従えだとバカにするなと残りのパワーを結集して踏ん張る。朝、体が痛い。テレビをつけたら「綿矢りさ」さんが出ていた。作家で美人。それがまだ高校生のような初々しさがあってなんかとっても清々しかった。やっぱり清楚って強いな。引っ張ったり叩いたりして顔の構造を変えて出ている人にはない魅力に心が洗われる。天は二物を与えない時代に育ったものは整形し天は二物を与える時代に生まれた人は自然の魅力にあふれているのか。そう思いながら彼女の話を聞いていた。身の丈を知っているというのがはや違うのかと。
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自転車規制

2011-10-28 08:12:16 | Weblog
自転車規制が始まった。あまりにも無謀運転が多く事故が多発してるからとのこと。こんな現象 むかし「帝都大作戦」という帝都物語の続編にあったような記憶がある。近未来 サイクラーという自転車集団が暴走化して街を歩けなくなってるような話だったと思う。これって予言だったんだね。プロの競輪の選手がピスト自転車で公道を走って警察に捕まるなんてニュースが出るくらいだから意識が低いのが多いのも事実だがこの国の行政は自分達の懐が暖かくならないもんだから自転車道の整備をせず歩道を一部通行許可というお茶の濁し方だったからこんな混乱を招いた。規制よりも先に環境整備だと思うけどな。車が道をふさがない自転車道を望みます。四国は「自転車王国宣言」をしたからこれからが楽しみ。車道を車と一緒に走るのってけっこう危険なんだから。
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樹氷にしてね

2011-10-27 07:50:14 | Weblog
むかし「樹氷にしてねとあの娘は言った」というCMがあった。昨日、寒気がはいるとj聞いて秋の山はもう最後かなと「寒風山」へ朝早く起きて行って来た。
寒風山はコンパクトな山だけど景色は雄大で峻険。地元ではとても人気がある山だ。


近くの国道で気温は9℃ちょっと寒い。だけどまさか雪が降るとか霙が降るとかは思ってもなかった。



この前から腰痛が原因なのか左足に違和感があってイメージ通りというか右足と同じ感覚で動かないのを感じていたけど登り10分ではやくも症状が表れた。この日寒いというので荷物が少し重めだったこともあってか腰に負担がかかったのか左足が上げにくい。


引き摺るように苦労して登って2時間。苦労して登った分、自然はご褒美に「樹氷」を見せてくれた。


先に登っていたカメラマンらしきおじさんが向こうの伊予富士を指して「霧氷」だと教えてくれたけど寒風の頂上付近で樹氷が見えるなんて思っても見なかった。




なかなかこの時期タイミングが合わなければ見えないんだよ。ガラス細工のようにとてもはかなくて綺麗。きてよかったというのが実感。体調を戻してまた来るぞこの山に。
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お婉堂

2011-10-25 09:06:17 | Weblog
土佐山田にあるファンベックというパン屋さんにフランスパンを買いに行った。


いつもは、車で行くんだけど(車で30分くらいかかるのかな)今回は秋ということで自転車でサイクリング気分で行ってみた。ここのパンは美味しいんだよ。とおすすめ。バケットは自転車に長いからチャバッタとクロワッサンとガーリックフランスとカツサンドを買った。帰り道にある「お婉堂」に寄ってお茶を沸かしてサンドイッチを食べた。小さなお堂だけどスピリッチュアル。


お婉って土佐の家老野中兼山の娘で兼山失脚後40年も冤罪で幽閉されて男系が途絶えてはじめて赦されるという過酷な運命を辿った人だ。「婉という女」大原富枝さんの原作を岩下志麻さんの主演で映画化したものを見たことがありますが当時あまり分かってなかったですね。なんでこんなにも厳しい罪を背負わされたんでしょうね。40過ぎて社会に放り出されたのに日本ではじめての女医として生計を立て断絶された野中一族を祀るお堂を建てその存在を後世に伝え評価を後世に託したんだろうか。


今は、野中兼山といえば教科書にも載る土佐の偉人として有名だからお婉が信じた父は正しかったのでしょう。お婉の意地とか想いとかがいまも感じられてなんか
救われる気分にしてくれる処だった。
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ウワディスワフ シュピルマン

2011-10-24 08:00:24 | Weblog
戦争映画はあまり見ないのだけど、特にアウシュビッツとかトレブリンカとかのユダヤ人収容所の悲惨なものは見たくなかったのだけど図書館で「戦場のピアニスト」というタイトルに惹かれてDVDを借りてきて見ました。監督があのポランスキーでポーランドのユダヤ人ピアニスト シュピルマンがホローコーストを奇跡的に生き抜いた実話に基づいての映画だという。原作は1946年に書かれたそうだがソ連解体まで発禁処分を受けていたそうな。2002年にカンヌ国際映画祭で最優秀作品賞を受賞とのこと。主演のエイドリアン ブロディは、この作品でアカデミー賞主演男優賞を受賞。鼻がすごく高い俳優でこの映画の中でも冬の朝日に照らされて鼻が透き通って見えるのが印象的だった。それとドイツの将校ホーゼンフェルト大尉がシュピルマンを助けるシーンが感動的であり立場が逆転したときにシュピルマンが彼を助けることが出来なかった無念が残る工場前の空き地の緑と朝日が印象的だった。映画は日付をアクセントのようにクレジットしドキュメンタリータッチで緊張感があった。
The Pianist is a testimony to the power of music
the will to live
and the courage to stand against evil
-Roman Polanski
戦場のピアニストは、音楽のもつ力が生きようとする意志
悪に立ち向かう勇気の証である。
                 ロマンポランスキー

ショパンの大ポロネーズを聞きながらこのことばを聞くとうなづける。
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柿食えば

2011-10-23 08:27:20 | Weblog
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 子規
情景が広がるとても好きな句です。当時のことですからお寺の境内の茶店で休んでる時に柿がでてきたんでしょうね 御所柿と聞いていますがそれを頬ばった時に鐘が鳴ったのでしょうかそれとも柿を食いながら寺の坂を登る人の後姿を見つめての発句だったのか想像するだけでも楽しい句でありきわめて日本人らしい感性だとも思えるのです。柿の渋色に染まっていく境内。その色に溶け込むような当時の人々の往来。柿色だけが浮遊するようにすすんでいく。その景色を見つめている自分がいる。茶店に坐っている男が懐から紙を出した。筆を執って何かを書き出した。すぐそばで筆の音まで聞いてるような錯覚すら覚える。これが柿にもつイメージかな。マーチンの庭の柿の木にも柿がたわわに実っている。今年は豊作だ。御所柿と違って次郎柿だ。絵に描いてみた。


ちょっと堅い目。でも、とても甘い柿だ。木の上の方になっているのは鳥が下に落ちたのは俺が枝からとったのはマーチンとバジルが食っている。隣のナカジマさんちの柿もいっぱいの実をつけている。今年は、柿の当たり年なのかな。フランス語でもKAKI 英語でもKAKI は日本のものだったんだね。知らなかった。
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カダフィ

2011-10-22 08:27:06 | Weblog
足腰が痛い。ヨレヨレだけど体の中に力が充実してきているのが分かる。そんな中リビアのカダフィ大佐が拘束され群集に小突き回され射殺される姿だった。酔っ払いの禿げたおっさんが怪我して人に支えられて介護されているのかなと見まがう映像だった。僕らの錯覚の時代の終焉と思った。職業や立場によってその人を偉大だと思い込まされていた時代の終わりといっていいのかな。ただのおっさんじゃないか。と当たり前の感想。これからは、何を見てももう錯覚して感じることはない。いわば覚醒の時代に入ったのかもしれない。だからスターと言う人はもう現れることがないのだ。それはさておき、カダフィといえば良く知らないんだけど名前だけは有名。僕は、ある1シーンだけが印象に残っている。それは、「サダト」の伝記の中の数行だった。何処の国のパーティだったか忘れたけれどまだ錯覚と夢が見える時代のことだ。青年将校だったサダトとカダフィが招待されて参加している。そこへオナシスがきて「頑張りたまえ」みたいなことをいうんだ。「彼等がこの世界を牛耳っていると言うのか。今に見てろ。あいつ等をひざまづかしてやる」と目をギラギラとさせてカダフィがサダトに言うんだ。「声が大きい。まぁ彼らのやり方を見てみよう」とサダトが言ったのかな忘れたけど。その時の颯爽たるカダフィの姿をイメージしてたのでその彼が既得権益にしがみつき白目をむいた亡骸を世界に晒さなければならないなんてなんかの間違いだろうと思いたいよねロマン派の僕としては。良く知らないけどリビアってローマの時代にフェニキアとして栄えた都市国家だったっけ?商業で栄えた国は亡国となる運命なのか。日本も同じニオイがするよね。
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山伏の山

2011-10-21 06:59:05 | Weblog
石鎚山系にある山岳信仰の修験者修行道場がある山に昨日行って来た。


昨日のことだけど。朝5時過ぎに起きてすべての用事を済ましサンドイッチを作り用具を確認し7時にバジルんちへ。7時過ぎに出発。10時くらいに麓の店でお結びを買う。10時48分登山口のある駐車場着。いざ出発。紅葉のシーズンだからか石鎚山への登山客が多い。こちら側は、今は、我ら2人のみ。はじめはなだらか。少し登ったところで上着を忘れてきたので車に取りに戻る。バジルを先に行かす。だらだらと山の周辺を歩くような感じで楽チン。しかし、自分は風邪が抜けてないので体調不良。なんか左足が腰痛からくるのか付け根が痛い。足を引き摺りながら歩く。難なく紅葉を見ながら最初の修験道場まで来る。ここでサンドイッチを車に置いてきたことに気づく。歳は取りたくないものだ。お結びは持ってきたのだけど、ひとつすると一つ忘れる。途中で同じ位の年の男性登山者に出会う。山小屋に泊まったんだろうか。朝早くの登山らしく足元にスパッツを巻いている。隙のないプロみたいな人だった。分岐点に出て頂上で食べる予定だった昼食を使う。お茶が喉に詰まってむせる。それがよかったんだろうか。時間が少しとられて遅い出発となったところへ後からのこれも山好きのおじさんがやって来た。「どちらへ」というから「修験者の山へ」というと「同じですね」と言って自分達が行こうとしている道と違う道を行こうとしたので「こっちでしょう」というと「それは近道。帰りにつかったらいいですよ」と教えてくれた。「でもこっちは鎖がありますよ。大丈夫ですか」とバジルに聞いている。バジルはその前のおじさんから「鎖は大したことない」と情報を仕入れていたので「大丈夫です」と言っている。この道は尾根伝いの道で比較的に楽チン。お城の城壁のような石づつみを見上げながら修験者の大道場に着いた。ここから鳥居をくぐり上の社へ。なんでこんな直角みたいな階段をつけるんだろうとブツブツ。


もう駄目というところで到着。鎖を見上げる。


先に上ったバジルがここからどうしようと立ち止まっている。「待て、行くから」と追いかける。なるほど女性にはちょっと難しい。こっちにくれば、腕の力だけでロープを使って登れるけどなるべく足を使ったほうがいいだろうとバジルにはまっすぐ登るように言って、自分は、ロープをまたいで足場がないフェースを腕の力で登った。上についてバジルを見るとチャレンジしている。何とかいけそうだが不安だった。そしたらロープを伝いながらバジルが来たので「ヤッタァーと心の中で叫んだ」「もう駄目」と言われたらどうしようと思っていたもの。


頂上に着いたらガスで周りの景色は見えなかった。だけど達成感はあった。


まぁそれくらいきつかったということだ。先に上ったおじさんがジェットボイルかなんかでお湯沸かしてお昼を食べていた。俺たちもここでサンドイッチを食べる予定だったのにザンネン。帰りは、近道と教えてくれた道を降りたけどこの道が休みなしの坂だった。これを登っていたら途中で断念だった。よくぞあそこで喉詰まらせたと自分の悪運の強さに感謝。「もう歳だから、こんなキツイ山は最後かもしれない」と思いながら車に乗った。午後7時過ぎに家に着いた。
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