フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

sunrise sunset

2007-07-31 19:52:37 | Weblog
たまたま、ラジオから流れてきた曲、何回も聴いたことがあるのだろうけど、それほど関心がなかった。Feddler on the roof 屋根の上のバイオリン弾きの挿入歌。丁度暑い昼突然この曲が流れてきた。blue note のマイナーな調子が萎えていた心にふと忍び込んで、何だか、元気付けられた。そう言えば、劇の中でもこの曲は、結婚する娘へのお祝いの曲なんだが、ウクライナを追われてアメリカへと旅立つときにも歌われていたっけ?
陽は昇り、陽は沈む 一日一日は消え去り、一年一年が巡り行く。夜明けの夢のように喜びと哀しみをのせて・・・・。
blue note の旋律が泣かせるね。だけど、希望がある。この、力強さ、心地よい。これは、絆と言う強さなのか、家族とか、親友とかが共有する確かな人間関係だね。それを、歌にしてさらりと告げているなんて、この劇のロングランの意味が、初めて納得できた。ユダヤのホームドラマしか認識がなかったから。遅ればせながら、屋根の上のヴァイオリン弾きのファンになった。
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green bubble

2007-07-30 08:55:53 | Weblog
何だろう?緑の金玉袋みたいなもの。変なのと思って記録した。まだまだ、この歳になっても知らないことがおおい。選挙結果どう感じましたか?映画からテレビへ、プロ野球から大リーグへと政治もまた移り変わりのひとつかと思いました。これは、目をつかれた民にとっては喜ばしいことです。ほんの少し自分達のNO!が伝わったと思います。昔から、政権政党が好きだったパンプは、「来年は、きっと勝つ」とテレビの前で気勢をあげてます。来年は、選挙、ないよ。ム・ム・ム
God's in his heaven all's right with the world
神は、天にあり、すべて、世は事もなし・・・・・・・・か。
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shade

2007-07-29 10:51:36 | Weblog
夏、連日34.5℃以上。「夏の匂いがするね」と昔少年が憧れた夏は、どこかへ行ってしまい、只の猛暑ですね。デモね、発見しました。少年の夏が水辺で感じるものなら、大人の夏は、日陰で感じるものだと言うこと。暑ければ、暑いほど日陰は涼しい。日陰に入ると、反対にああ、夏だなと思う。家の陰、ビルの陰、そこは、風の通り道になっていて、湿度も、温度も気持好い。これで、緑の陰を歩いていられたら最高だとおもう。森の中の小道、緑のシャーベットの上を通り過ぎた風が、肌をなぜていく。遠い空では、太陽はギラギラ,緑のshadeが、和らげてくれる。蝉と鳥の声に囲まれて幸せなひと時を夏が与えてくれる。そんな風なところに住んでいられたらな・・・と白日夢。汗をかいて、シャワーを浴びてどうやら乗り切る夏。いつになれば、shadeに守られた気持の良い夏を迎えることができるやら。
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Anne of PEI

2007-07-28 21:11:17 | Weblog
近くの、文学館でPEIの写真展があるというので、初日から見に行ってきた。写真の数は、少なかったけどアンシャーリーに久しぶりに会った気分。PEIというのは、プリンスエドワード島のことで、つまり赤毛のアンの島のことだ。世界的な人気の物語の主人公の女の子の島だ。作者のモンゴメリーが想像した以上に本は、読み継がれてその島を訪れた日本人の数は、大変なものでしょう。アヴォンリーなんて村の名は、実際の町より有名だ。それに、ここは、ソフトなアウトドアスポーツが楽しめることでも有名だ。この美しい島をロードバイクで走ってごらんよ。考えただけでワクワクするね。村岡花子女史の名訳のおかげで僕らは、想像力を膨らませることができる。誰が、赤毛のアンなんて名訳その当時に考えつくもんですか。さすがとしか言い様がない。アンに誘われてこの島へ行きたいと以前から思っていたけど今回の写真展を見て益々思いが強くなった。ただ、巷で、「私が、赤毛のアンよ」なんて平気で言う人がいるけど、そんな人は、願い下げにしたい。そんな人ほど、アンが絶対しないようなこと平気でしておいて自覚も反省もない人が多いから。本当に、暗に近い人は、そんなことすら気づいていない人が多い。そんな人とアンを想像しながら、おしゃべりするのは楽しいよ。想像してみて。ツールドPEIこれも見に行きたいな。
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orange

2007-07-27 08:58:52 | Weblog
ベランダでウルーに餌をやってて、ウルーが、いつになく辺りを気にするから変だなと思っていたけど、今日は特別ツナフレークを余分に入れたからかなと人間らしく考えて、そのままほっといて下のキッチンへ行ってアボガドとトマトとフローズンバナナのスム-ジーを作ってたら、「ぎゃ-オ!」と凄まじい猫の喧嘩する声。が、廻りでは聞こえたらしい。自分は、マルチブレンダ-回してたので、気づかなかったけど。ジュースが出来てふと振り返るとウルーがいる。「どうしたの?もうたべたの?」と人間の発想。餌は与えられるというテイタラクで甘えの構造そのもの。お気楽にウルーの食器を片付けようとしたらなんとこないだのオレンジ色の猫が、ウルーの餌を食べてた。さすがに、自分を見て屋根の上に逃げたけど、「スマネーな、腹すいてたもんで」とでもいいたげな目でじっと見る。その目はやめて、弱いから。でもなんだか、セカンドキャットになりそうな予感。キミにも名前をあげよう。「オランジュ」だよ。オランジュもウルーが最初にしたように、家のベランダの下に居つくのかな。ウルーとは2年がかりで距離を縮めていったんだから
キミともそれくらいはかかるだろう?でも、キミは、オスだから、そんだけなつかないかもしれないね。孤独で、プライドが高いのが猫なんだから。オランジュ、頑張ってね!
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scene

2007-07-26 08:47:49 | Weblog
大体、朝同じ時間に散歩をしても、毎朝、違うシーンに出会う。おなじみさんもいるけれど、夏だから、だんだんと散歩の時間が早くなってるのか、今日は、おなじみさんを一人も見なかった。まるきり新しいシーンだった。昨日の蝉とりのおじさんも、子供たちもいなかった。「僕らが、子供ん時は油蝉ばかりやったに、今は、クマゼミやね」とおじさんが言ったことを思い出した。そう言えば、クマゼミなんて子供の頃、街中の公園ではあまり見かけなかった。蝉といえば、油蝉だった。それにツクツクボウシ。クマゼミなんて取った記憶がない。気候が変わったのか、森がなくなってしまったのか、いまは、クマゼミが公園を占拠している。クマゼミがおわると油蝉というような住み分けというか、こちらの方が、自然の摂理なのかよくわからないが、割合秩序ただしく交代していく。7月のはじめは、クマゼミで、終わりからは、油蝉、こんな感じかな。では、なぜ、子供の頃、身近にクマゼミはいなかったのだろう?羽が透明だから見つけられなかったのかな。今では、すぐ傍で、鳴いてるのを見られるよ。ビリーザブートキャンプのようにあの腹の動かし方を見てると体を締めるとはこのことかと思いますね。自分のタプタプの腹を撫でながら岩にしみいる蝉の声を聞くフェンネル氏でした。
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run

2007-07-25 08:26:33 | Weblog
いつも散歩に行く公園のそばに何とか山とは呼ばれているけど山ではなく丘と言うにも少し無理があるこんもりしたおわんを伏せたぐらいのところがあってその坂道を全速力で登りきることが、目下の目標。傾斜12度くらいかな。距離にして150から200といったところかな。公園を歩いて、準備運動をしたとして、その坂の下につくや、スタートを切る。気分は、パウエルかゲイだけど、体が重い。息が続かない。いつも途中で、後30mくらい残したところで息が抜けて失速する。イメージでは速く走ってるつもりだけど、自分で遅いなと体感できるくらいだから、遅いのだろう。速ければ、息を抜かず頂上までいけるはずだから。それができることが目標。どうすればよいか、思案中。とにかく、体が重いのが原因。やせなければ。だめだ、痩せれば、パワーと受けの体力がなくなる。男は、誰も皆、孤独な兵士なのだから、自分のことは、自分で守れるくらいの備えは必要だ。これは、動物の本能だね、体を大きく見せようとするのは。体重だけあってもしかたないのにね。そうだ、絞めよう少しずつ細い筋肉を作ってアスリートのようにしなやかな体を作ろう、無理か。だったら、地道に努力して、いつか、頂上まで一気に駆け上がろう。毎日続けることが、やはり、一番大事だね。
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homeless cat

2007-07-24 09:03:12 | Weblog
外で、ウルーに餌をやっていたら、どこで見つけたのか、野良猫が縄張ってきて、ウルーの残した餌を漁っていた。ウ~ンこれは困った現象が起こった。放っておいたら、家は、野良猫屋敷になってしまう。そうだ、うるーに部屋の中で、餌をやろう。チラシを敷いて、お盆にお皿を載せてと工夫すれば、清潔にいけるじゃないかなどと考えてやってみると、猫って餌をこぼさないんだね。あのざらざらの舌でうまく、こぼさないように食べていく。これで、野良も来なくなるだろうと思っていたら、一度目をつけたところには、きちんと巡回してくるんだね。雉猫のオスで大きなタマタマぶらさげてウルーなんか蹴散らすように威嚇してえばり散らすんだ。しょうがないから、原爆でも落とそうと誰かの発言のまねをして出て行くと、恨めしそうな目で見る。最近猫語が少し分かるようになっているので困ってしまう。「サリュ」とでも言いたげにつかず離れずあのきらりと光る目で訴えてくる。猫にも分かるのかな、こいつは、猫語が分かるぜ、少しだけど、鍛えてやろうかなんていってるようだ。こちとら、初心者なんだから、何匹も犬のように面倒見れないよ。やっとウルーが、爪をださなくなったばかりだから。でも、あの雉猫いい顔してたな。



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ライブ

2007-07-23 08:38:24 | Weblog
朝6時くらいに公園まで散歩に出かけると犬を引いて散歩に来ている人、ジョギングをしてる人、ウォーキングをしてる人に出会う。てんでにあ「おはよう」と挨拶を交わして通り過ぎる。そのほとんどがお年寄りだ。彼らは、健康に気を使う。人の世話になりたくないから。一生を自分の力で生きたいから。そう思って、ボケないように、寝込まないように自分を鍛えている。やがて、公園の散歩から、一人減り、二人減りとしていくんだけど
そんなことは、暗黙の了解だ。残ったものは、それでも毎日やってきて、体を鍛えていくというより、今日の体を確かめていく。中には、懸垂が軽々できる爺さんとか腹筋を何回となく繰り返す婆さんとか凄いのもいる。彼らを見ていると今を真剣に生きているのがよく分かる。今を生きて、明日を夢見るか・・・・。とりたてて運動もせず、野菜も食わず
野生児の如く自制せず、好き放題して90余年、一方では、パンプのような今を生きる術もあるけれど、明日を夢見てるかどうか疑問?明日は明日の風が吹くって感じかな。公園で健康に気を使って生きようとしてる人を見るにつけてライブ生きるとは何かを考えるフェンネル氏でした。
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viva ピーナッツ

2007-07-22 12:58:46 | Weblog
ぺプシのおまけにチャーリーブラウン、ルーシー、ライナスなどおなじみピーナッツシリーズのフィギュアがついていた。懐かしさのあまり普段は、飲まないけどコーラを2本もかった。ライナスも欲しかったけど、まずは、主役と思って、ルーシーとチャーリーを手に入れた。後一本は、スヌーピー。これは、バジルにあげた。自分達にとっては、懐かしいものだけど、彼らは今も現役だ。同じキャラで、現代の子と接している。扱われ方は、僕らと同じなのだろうか。きっと同じなんだろうな、俄かには信じがたいが、そうでなくては、続くわけがない。未だに、スヌーピーのbookもあるし、そう言えば、自分も学生の頃stop it Lucyというbookを読んでたっけ。あの頃は、画期的な本だった。紋切り型にフレーズを覚えていくのが、主流だった英語の勉強にくだけた口語の会話本だったからほんと読むだけでアメリカ人と話ができると思っていたもの。その中のいくつかは、まだ覚えてる。そして今、このオマケを見て当時を振り返りながらチャーリーになったつもりで、そっと囁くstop it Lucy(やめてよ ルーシー)
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