木守柿って風習は知らなかったのですが僕らは自然と柿の実は鳥や蜂と共有と思ってましたから鳥にも蜂にも残してあります。これが豊穣を願う風習だったなんて知る由もありません。自然と自然を守るって動物と食べ物を分け合うってことでしょう。それが身についているだけなんですがちゃんと農村文化として残っていたんですね。そういえば木の上の方の枝に数個残っている柿の実を見ると木を守っているように思います。人と自然は工場生産のように生きてきた訳ではないということがよく分かります。昨日のことでしたかスミノフが「狸が死んでた」と教えてくれました。ウチの裏の家の柿の実の落ちたのを食べに来てたあの狸でしょうか。誰かに殺されたのでしょうか犬に咬まれたのでしょうか。車に轢かれたのかな。なぜ死んだかは知りませんが「狸がいるって私はいいことだと思うけど」ってスミノフが言ってました。オレもそう思います。それだけまだ自然があるってことですからね。いつもは柿の実が落ちなくなったらどこかに姿を消していってた狸。木守柿を見上げては「来年もね」と呟いたことでしょうに。死んでしまったのですか。でも家族連れだったからまた誰か来てくれるでしょう。
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