フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

ハイヌーン

2008-10-31 20:06:55 | Weblog

今日は、曇りで午後になって雨だった。そして寒かった。確か、一昨年には、11月半ばまで半袖のTシャツだけだったと思うけど10月の終わりにこの寒さじゃ、冬の訪れが今年は、早いのかな。地球温暖化にしてはおかしな現象だね。紅葉も、今日は、標高1500mあたり、来週の初めには700m位まで下りてくるということだ。駆け足だね。今日は、布地屋さんのバーゲンに行ってウルーとランディ、マルディにフリースの布を買ってあげた。結構広かったので3っつに切ってそれぞれに敷いてあげた。ウルーはさっそく寝そべっている。このところ、しょっちゅう話し掛けてくる。ほんとうに世話女房のように。大抵「パソコンなんかやめろ」と言ってるんだろうけど。マルディはフリースの匂いをかいで、ランディは知らん顔。それぞれなんだなと思いつつも可笑しく思える。昨日、久しぶりに「ハイヌーン」をDVDで見た。「見捨てないでおくれよ。俺達の結婚式の日だと言うのに。何てこった。悪党が復讐にくるってさ。何なんだ。でも、逃げるわけには行かない。恐いかって?恐いさ。でも勇気を奮って戦うんだ。だから、見捨てないで、待っていておくれ。戻ってくるから。きっと、戻ってくるからさ」あの名曲にのって颯爽とではなく、くたびれた中年男が、誰の助けも得られず、たった一人で、4人の悪漢と対峙していく。女々しさと、意地と孤独。たった一人の名もなき中年男のゲーリークーパーが決闘へ歩いていく後姿が今ほど自分とダブって見えたことはなかった。もう3~4回見てるのにね。若かったからそんなこと思わず見てたんだろう。今になって、初めて分かるってことがあるから映画って面白い。グレイス ケリーってほんとうにきれいだったんだね。と改めて思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋はデザートブーツ

2008-10-30 20:17:29 | Weblog
秋には、デザートブーツがいいね。どのくらい昔からあるアイテムか知らないけど高校の時には、リーガルのデザートブーツを履いてたと思う。それから、クラークスのものに変わって、この靴は、長持ちするから結構な時間はいてたと思う。しばらくブランクがあったけど今は、MGMのこげ茶のものを使っている。足首まで包んでくれて軽くって底が磨り減らなくてぞれほど高価ではなく何にでも似合ってとくれば使用する理由がわかるってモンでしょう。冬には、ワラビーとかチロリアンとかワークブーツとかあるんですが、秋には、ちょっとこれしか思い当たらない。自分は、普段は、ブリークスばかりだから、足首まで来る靴は重宝している。ヘミングウェイの靴は、ハンチングブーツを除いては、ローハ-ばかりだったけど、靴ってそうなるんだよね。僕も気に入った靴があればそればっかり何十足も買い溜めて置きたいもの。そういうわけで、デザートブーツとは違うけど、LLBeanのガムシューズを買いました。LLBeanは2足目だけどガムシューズは5足目。本店にカタログ注文だから、なかなか足にあわなくて、人にあげたりして今度が正真正銘の一足目となるのです。山用と雨用とタウンと兼用だからこの靴も便利なんです。秋には、ファッションが楽しくなりますね。やはり人間おしゃれでなければと思います。ちなみに、パンプは、おしゃれです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅葉

2008-10-29 19:55:12 | Weblog
トンネルを抜けると紅葉が始まりかけていた。今日は、山に行く予定だったけど曇って寒かったから、途中で引き返して隣の隣の村で、サンドウィッチを作ることにした。前日カンパーニュのハーフを手に入れてたから生ハムとレタスとトマト鯖味醂のサンドをそれで作って、超熟のトーストに茸のソテーをのっけてと予定してたけど山用のトースターと五徳を間違えて五徳を持って来てしまったから超熟はあきらめてサトイモの煮っ転がしとご飯の予備に持って来ていたお弁当を出した。


コッフェルに茸を入れてソテーをしようとしたら今までにないことコッフェルひっくり返して大変だった。後、ナイフも落とすし自分の老化を実感した。人生も秋なんだな。バジルが持ってきた「竹内マリア」のCDから「人間魚雷」のテーマ曲が流れて「この人たちのおかげで今が在るんだよな」と素直に思える自分がいてこれも歳なんだろうかとぼんやり思っていた。



川の方から歩いてきて、テーブルに作った料理が出揃い、パコレーターが湯気を上げてるのを見るととても豊な時間を過ごしてるように思えて心がなごんだ。そんなに、何時間もここにいるわけではないけれど、まだ紅葉していないもみじの下のひと時は至福の時間だった。ただ、静かに時が流れるっていいもんだね。僕らが、山のレストランに慣れてるせいかも知れないけれど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐が痛かった。

2008-10-28 20:57:03 | Weblog
懐が痛かった。今日、心臓の辺りが痛いってんで病院へ行ったんですが、何科で診てもらうのか分からなかった。それで、総合受付で「心臓の辺りが痛いんですが、何科で診てもらえばいいんでしょうか?」「それは、外科でしょうね。取ってもらいましょう」と言われたら帰るつもりだったけど、「中ですから、内科でしょう」と言われたので受診することにした。この病院の内科なんて子供のとき以来だ。と思いながら、内科の在る窓口へ行くとさすが内科だけのことはあってたくさんの人で混んでた。9時半だから、半日はかかるなと覚悟。案の定11:00くらいに問診があって、血液検査、尿検査、心電図、レントゲンと一通り検査を済ませて12:15くらいに診察だった。「心臓は大丈夫ですね」「肺もきれいです」「甲状腺も異常ありません」「どうして痛いんでしょうね?」と聞くと「筋肉痛か、肋間神経痛でしょう」「ハァ?」「湿布と痛み止め出しときます」「・・・・」とりあえず、安心しましたが、保険使って6730円もかかりました。帰りは、胸よりも、懐が痛かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

胸の痛みに耐えかねて

2008-10-27 21:48:43 | Weblog
ここ3日くらい心の臓が痛くて、遂に明日医者に行くことにした。これは、何科にいけばいいのかな?よくわからない。左の胸と腕の中間のところの深いところといった方がいいのかな、その辺りが痛いな。深い悲しみとか、深い痛みとかよく簡単に言うけど本当にあるんだね。深いところからの叫びが。さっき、衛星で若い女の人が作詞して歌っているのを聴いたけど今の人の歌詞ってやたらめったら難しい漢字を使ってひとり酔いのシチュエーションにくすっとした共感を感じさせるって手法なんだね。嫌なら嫌でいいんだよ。でも、私は、これなの!っていうのを古文から漢字からやたらめったら難しいのを使おうとする傾向。ナンだか、頭が悪いこが、頭がいいことはこうであると決めた頭がいいこになって書いてるからだろうなと思って見てた。賭したら、リハ中に裸足になって歌いだした。足見たら土踏まずがないように見えて可笑しかった。人は、どこを見てるか分からないから面白い。中原中也が10月23日に死んで草野心平が書いた追悼の詩。
中原よ
地球は冬で、寒くて暗い。
ぢや、
さやうなら

多くのことを暗示しながらこの短い文章。今の人が書いたら、お経のように長く難しい言葉をいれて情景から入っていくんでしょね。日本語は、短く使うほうが美しいのにな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森は木が3本では森にならない

2008-10-26 15:15:15 | Weblog
森は木が3本では森にならないという話を聞いた。「木を植えた男」を読んでたので木を植えれば森になるとばかり思っていた。メソポタミアもインダスもエジプトや黄河も森と共に栄え森がなくなると文明も滅んだと言う事実。知らなかったな。森にはね、下草やツタや木があって初めて森になるんだって。木だけ植えても森にならないんだ。勿論、何にもないとこに森を作る話だけど。日本文化の強さはねこの森にあるんだって。鎮守の森が、どの町や村にもあって大切にされたことが日本文化の基礎だって。森が滅ぶ時、文化が滅ぶ。今全国で、鎮守の森保有率0.06%。森を作るには、3年に一回の下草刈と20年に1回の伐採が担保されないといけないんだって。自然のものを破壊するのは簡単なことかもしれないが、自然のものを自然の状態で作ろうとすれば、並大抵の努力と工夫じゃ駄目なんだから、壊す前によーく考えなくてはいけないね。森は、木が3本で森にならない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

la vie

2008-10-25 21:08:40 | Weblog

朝焼けがきれいだった。今、この空だと思って携帯を出して写真をとろうとしたが車だから、ここだ、あそこだと移動してるうちに消えた。時間がよく見える。さっきまで、赤だったのに今は青。赤から青までの時間を僕は見た。そうやって考えると時空が飛べそうだ。1000年の未来から、1000年の過去へ空を見ながら僕らは歩く。空は海になり、砂漠になり、緑の森になり、大地になる。僕らは、寝転んでそれを見てるだけ。ひょっとして人間は、こんな存在?なんて思いながら仕事から帰ってみるとパソコンの在る部屋がしっちゃかめっちゃかだった。破れたというか猫が破った網戸からウルーの天敵ノワールが入ってきてウルーとケンカになったらしい。どっちもの毛が抜け落ちて椅子はひっころぶは、本は滅茶苦茶。ウルーとオランジュのために塞がずにいたんだけどこうなると専守防衛かなとおもい網戸を塞いだ。昨日は夕焼けがきれいだったけど今日は見えなかったな。このごろ、あらためて自分と言う存在がなんなのかをよく考えるようになった。これが、僕が、遣り残してることなのかな。朝焼けのようなAMEDEIのマカロンを一つ食べると頭がすっきりしてきた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

献血

2008-10-24 20:50:28 | Weblog
昨日から目の奥が痛くて脳がはれぼったい感じがして嫌な気分だったけど、朝になると少し和らいで何とかいけそうだと仕事に出かけた。帰りがけに献血の車を見つけて血を抜いたら楽になるかなと単純に思って寄って見た。これで3回目かな?献血するのは。パソコンにデータが全部入っているから身長は、体重は、ハイ、400cc採れますか?ハイ手なぐあいで400cc決まり。今日は、血圧が頭が痛かったのと関係あるのか130と普段より高め。どうりで、普段はあまり出ない血管がぷっくりと出ていた。「きれいなB型の血をいただきます」なんて調子のいいこと言ってきれいかどうかも分からないのに馬に刺すような大きな注射針をぷっくりしている血管に突き刺した。「自分は、血を抜き取られる刑を課せられたギリシャの哲学者、ああ、オレの最後の弁明を聞いてくれ」俺の最後の言葉を、キミが聞き取ってくれるのかクロード。そうか、辺りにはキミのほか誰もいないのか、静かだ。死がそこまで来ていると言うのにこの静けさ。心落ち着く安らぎは何だろう?もはや暗くてキミの顔すらおぼろげだ。私は、何もしないで生きてきた。ただ存在するもの。それが、人であるというテーゼに従って。自ずから然りではなく、自ずから在るこれが人だ。ゆえに個々の存在そのものが貴重であり、魂は付随するものである。オレの魂は、オレの姿である。俺の姿を見るものは、俺の魂を見るものである。では、どのような魂が自分は好きなのか。あるときは?あるときで?ある時のアナログで不安定に存在した自分を自分としてるのだろうか?薄れ行く意識の中でクロードに告げる最後の言葉を探していた。
詩人の魂のように「いい人になってください。幸せになってください」・・・・「ハイ起きて、終りましたよ」・・・ここはどこ?献血のバスの中。僕のギリシャの哲人はどうなるのだろう?バスから出れば厳しい現実!思考なんぞありゃしない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チョコレート色の髪

2008-10-23 20:03:45 | Weblog
パンプが風呂から上がってダイニングのテーブルに座っていた。後でおろすからいいかとランディとマルディに餌をやって帰ってくるとテーブルからは、降りていたけどテーブルの上で先ほどショータンが持って来てくれたチョコレートケーキがグチャグチャに潰れていた。「あっ、食べておけば良かった」と思っても後の祭り。ふとみると、洗ったばかりのパンプの髪に、チョコレートが摺り込まれてるやら盛られてるやら。本人は、すまし顔だけどスポンジケーキがオデコからぶら下がっていた。一度風呂に入ると二回目ははいらないのでマーチンを呼んで、髪を拭いてもらった。少々チョコレートの匂いはするけどまぁよしだ。栗色のマッドレーとか亜麻色の髪の乙女とかは聞いたことがあるけどチョコレート色の髪は、聞いた事がない。しかも、風にも揺れぬべっとりだから。おまけに、スポンジケーキ付。何でこんなことするのかな?犬が匂いをつけてくるのと同じかな?部屋中チョコレート臭いよう!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Un chat de la mer(海辺の猫)

2008-10-22 20:04:38 | Weblog
朝早く、デパートのイタリア展に行った。お目当ては、ブラッドオレンジとマカロン。テレビの取材のクルーが何組か来ていてチョロチョロとうっとうしい。ゆっくり買い物が出来ないからモンク言ってやろうと店に行くと反対に取材されてテレビに出演する羽目になった。しかもノーギャラで。店の名前は[AMEDEI]イタリア トスカーナのチョコレート会社だ。何でも、去年今年とロンドンのチョコレート大会で連続1位の実績だそうでマカロンを買うとそのチョコレートを試食させてくれた。向こうが1枚の板チョコを出すから1枚が試食なんだ、さすがイタリアと思って引っ張ると店員の手が付いてくる。何してんだと思ってまた引っ張るとまたついてくる。「あっ、これは、割るのか。試食で1枚はないよな」と大人の考えで割ってやると、店員もヤレヤレといった顔でにっこりうなづく。「早く言えよなあ」とチョコの一片を口に入れると何とさすが1位だけのことはある美味さ。12枚で3670円だったけど思い切って買ってしまった。でも、マカロン同様満足。デパートを後にして、お昼は、戻り鰹のたたき定食を食べに浜辺の町に行った。昨日は山、今日は海。潮の香りを胸一杯吸い込んで山とは違ったいい気分。



定食屋の「浜ちゃん食堂」は、13時過ぎだと言うのに混んでた。混んだとき用の別室で今回はいただきまして「今の時期の鰹はうまいね」なんていいながら食べて満足。帰りに市場で、ウルーにオジャコを買って、パンプにウルメとカマスの干物買って車まで戻ってくると汚い猫が寄って来た。飼い猫か野良か分からない。町でなら完全野良の汚れ方だが、浜辺で毎日転がってるとこれくらい汚れるのかな?とにかく薄汚れた猫だった。



このところ、「野性の少女チッピ-」くらいの感覚で猫に接することができるから「どうしたんだい」と聞いてやると、寝そべって腹を出す歓迎のポーズで迎えてくれた。その汚い腹を掻いてやると可愛くなつくのでウルーのオジャコを少し与えた。そしたら、美味しそうに食べていた。そうやって、この界隈で生きているのかなと思った。でも、自分が知らないうちに、随分と猫使いになった自分に感心もしていた。浜の風が気持ちよかった。人生全く何があるか分からないね。この間まで、犬しか飼ったことがなかったのに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする