よむよま

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「八重の桜」第49話

2013-12-09 21:00:43 | 見る
大河「八重の桜」第49話・・・あ、今年は50話までやるんだ。まだ最終回じゃない。
覚馬が逝き、容保公が逝く。

覚馬のところに山川健次郎が訪ねてきて、
兄・浩が幕末の会津の記録「京都守護職始末」を書いている、
京都における会津の状況を教えてくれと言う。
しかし、話しているうちに覚馬が、
「勤王の志は会津にも薩長にもあった。
会津に義はあった、しかし、相手も同じことを思っていただろう」と言い出し、
健次郎は激昂して、覚馬先生は会津魂を忘れたのかとなじってしまう。

薩長に義があったかどうかはともかく、
誠意を尽くすだけでは、戦を回避し、国が滅ぼされないように守ることはできないという、
覚馬の考え方は正しい。
薩長がしたように、(300年前の徳川がしたように)
陰謀も策略も恫喝も操れる悪知恵もずる賢さもなくては、国を守ることはできない。

でも、この時点では受け入れ難いよね。
無理!(>_<)

覚馬は明治25年に亡くなる。
知識と知恵によって戦を回避することができるはずだ、
あのとき会津にそれができれば、という思いが残る。

病床の容保公は山川兄弟に孝明帝の御宸翰を託す。
なぜ早くこれを出して、会津は逆賊にあらずと主張しなかったのかと聞く浩に、
それが新たな戦のもとになることを避けたのだ、と答える殿。
健次郎が「あのとき会津は別の道を進めたのではないか」という覚馬の問いを伝えると、
殿は「武士の忠義を貫いたかわりに、会津を死地に追いやってしまった」と言い、
浩は「あのとき会津までが裏切っていたら、この国にまことの武士などいなかったことになる」と
涙ながらに言う。

ここのシーンのやりとりがとてもよかった。涙。
殿!

容保公は明治26年に亡くなる。

日清戦争が始まり、赤十字の看護婦を率いて、八重は戦場へ行くことを決意。
女が戦場へ?とか、ぐだぐだ言う男どもを抑えて。
この人の生き方も、変わんない。(^-^;

山川浩は、尚之助が書いていた(ことになっている)「会津戦記」を引き継ぐのだ、と言っていた。
ドラマの中で復権しましたね、尚之助さん。
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