アイヌの文化を学ぶ
* * * * * * * * * *
アイヌ文化とはなにか、
彼らはどのようなくらしを営み、どんな世界観をもっていたのか。
本書では、史上初のアイヌ出身国会議員であり、
その文化の保存・継承に長年尽力してきた著者が、
みずからが生まれ育った二風谷(にぶたに)の四季の生活を振りかえりながら、
その模様をやさしく紹介していく。
食文化、住まい、儀礼、神話・伝承、習俗、自然観や死生観…。
それらの記述を通して浮かび上がってくるのは、
自然と調和し共に生きようとするアイヌの心である。
いまなお日本人に広く知られているとはいえない先住民族アイヌの世界。
その全貌を知るための基本書となる一冊。
* * * * * * * * * *
北海道に暮らしながら、アイヌの文化についてよくわかっていなかった私。
この度はこの本で少し学習させていただきました。
著者萱野茂氏が生まれたのは1926年(大正15年)、平取村二風谷。
その頃のアイヌの人々は完全な少数者となり、
それまでの居住地や、生活の場であった山野海浜は国の管理下に置かれ、
日本語の強要と生業への規制が行われていました。
それで萱野氏の子供時代にもかなり日本の風習が入り込んでいたのですが、
まだ古来からのアイヌの生活習慣や行事も行われていた。
そんな頃の記憶からこの本は描かれています。
萱野氏の祖母は、アイヌ語しか話さない方だったそうで、
祖母から聞いた古来のアイヌの話も、ずいぶん参考になっているようです。
全編を通して感じるのは、この自然の恵み豊かな大地で、
アイヌの人々は自然と調和しながら暮らしていたということ。
自分たちが生きるのに必要なだけを採取し、決して採りすぎない。
自然から得るものはすべて神の恵みとして祈りを忘れない。
素朴で、ごく当たり前の人の「生き方」がそこにあるように思われ、
何故か懐かしさをも覚えてしまいます。
著者はアイヌとして、差別を受けたり、
理不尽な和人の法に怒りを覚えることも多々あったろうと思われるのですが、
この本の中では(おそらくあえて)、そのようなことには触れず、
淡々と子供の頃の思い出や、人から聞いたアイヌの生活を記述しています。
しかしそんな中でただ一箇所、怒りを隠しきれないところがありまして、
それはサケのことを記述したところ。
サケはアイヌにとっては主食に等しいもの。
それを日本人が勝手に北海道にやってきて、
一方的にアイヌがサケを採ることを禁じてしまった。
つまり、漁業権というヤツです。
著者が子どもの頃、父親が禁じられているのを知りながらこっそりサケを採ってきたことがあるそうで、
なんとそのために巡査に捕まったというのです。
祖母は怒って言う。
「和人がつくったサケではあるまいに、
私の息子が少し獲ってきて、神々と子どもたちに食べさせたことで罰を受け、
和人がたくさん獲ったことは罰せられないのかい。」
また、川下に「やな」が設置され、そもそもサケが遡上できなくなってしまった。
そのためにクマやシマフクロウが餌を採ることができず、激減した・・・と。
まさしく、返す言葉もありません・・・。
そういえば池澤夏樹さんの「静かな大地」にもそんな記述がありました。
アイヌは自分たちのために必要なだけとるが、
和人はお金儲けのためにとる、と。
しかし私たちの社会は、もはやそういうふうでなければ成り立たなくなってしまっています。
いろいろ、考えさせられます。
「アイヌ歳時記 二風谷のくらしと心」萱野茂 ちくま学芸文庫
満足度★★★★☆
![]() | アイヌ歳時記: 二風谷のくらしと心 (ちくま学芸文庫) |
萱野 茂 | |
筑摩書房 |
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アイヌ文化とはなにか、
彼らはどのようなくらしを営み、どんな世界観をもっていたのか。
本書では、史上初のアイヌ出身国会議員であり、
その文化の保存・継承に長年尽力してきた著者が、
みずからが生まれ育った二風谷(にぶたに)の四季の生活を振りかえりながら、
その模様をやさしく紹介していく。
食文化、住まい、儀礼、神話・伝承、習俗、自然観や死生観…。
それらの記述を通して浮かび上がってくるのは、
自然と調和し共に生きようとするアイヌの心である。
いまなお日本人に広く知られているとはいえない先住民族アイヌの世界。
その全貌を知るための基本書となる一冊。
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北海道に暮らしながら、アイヌの文化についてよくわかっていなかった私。
この度はこの本で少し学習させていただきました。
著者萱野茂氏が生まれたのは1926年(大正15年)、平取村二風谷。
その頃のアイヌの人々は完全な少数者となり、
それまでの居住地や、生活の場であった山野海浜は国の管理下に置かれ、
日本語の強要と生業への規制が行われていました。
それで萱野氏の子供時代にもかなり日本の風習が入り込んでいたのですが、
まだ古来からのアイヌの生活習慣や行事も行われていた。
そんな頃の記憶からこの本は描かれています。
萱野氏の祖母は、アイヌ語しか話さない方だったそうで、
祖母から聞いた古来のアイヌの話も、ずいぶん参考になっているようです。
全編を通して感じるのは、この自然の恵み豊かな大地で、
アイヌの人々は自然と調和しながら暮らしていたということ。
自分たちが生きるのに必要なだけを採取し、決して採りすぎない。
自然から得るものはすべて神の恵みとして祈りを忘れない。
素朴で、ごく当たり前の人の「生き方」がそこにあるように思われ、
何故か懐かしさをも覚えてしまいます。
著者はアイヌとして、差別を受けたり、
理不尽な和人の法に怒りを覚えることも多々あったろうと思われるのですが、
この本の中では(おそらくあえて)、そのようなことには触れず、
淡々と子供の頃の思い出や、人から聞いたアイヌの生活を記述しています。
しかしそんな中でただ一箇所、怒りを隠しきれないところがありまして、
それはサケのことを記述したところ。
サケはアイヌにとっては主食に等しいもの。
それを日本人が勝手に北海道にやってきて、
一方的にアイヌがサケを採ることを禁じてしまった。
つまり、漁業権というヤツです。
著者が子どもの頃、父親が禁じられているのを知りながらこっそりサケを採ってきたことがあるそうで、
なんとそのために巡査に捕まったというのです。
祖母は怒って言う。
「和人がつくったサケではあるまいに、
私の息子が少し獲ってきて、神々と子どもたちに食べさせたことで罰を受け、
和人がたくさん獲ったことは罰せられないのかい。」
また、川下に「やな」が設置され、そもそもサケが遡上できなくなってしまった。
そのためにクマやシマフクロウが餌を採ることができず、激減した・・・と。
まさしく、返す言葉もありません・・・。
そういえば池澤夏樹さんの「静かな大地」にもそんな記述がありました。
アイヌは自分たちのために必要なだけとるが、
和人はお金儲けのためにとる、と。
しかし私たちの社会は、もはやそういうふうでなければ成り立たなくなってしまっています。
いろいろ、考えさせられます。
「アイヌ歳時記 二風谷のくらしと心」萱野茂 ちくま学芸文庫
満足度★★★★☆