人生の雑記帳bytamatiyamaru

終活もそろそろ考えながら…日々の瞑想(迷走?)を大切に
身も心もととのえることが一番!

龍馬艦隊異聞

2008年12月07日 20時19分37秒 | 読書感想

久しぶりに坂本龍馬の本を目にして読んでみました

龍馬が勝海舟から海援隊を引き継ぎ、上海で秘密の漕艇所を作り海運事業に夢を描いていた頃・・・

龍馬が最も活躍した「薩長同盟」の締結や有名な「船中八策」など次々と日本を洗濯していた頃・・・

妻お龍と霧島温泉に新婚旅行にいったりした甘い頃・・・

それこそ、龍馬の青春=人生そのものの頃を・・・

柊 祐介さんが面白く歴史小説に仕立てていました

再来年のNHK大河ドラマが「龍馬伝」と決まり・・・大変楽しみにしています

坂本龍馬との出会いは、職員旅行で高知に行き、「坂本龍馬記念館」に行った時でした

龍馬の実家を見て、桂が浜に立ち・・・龍馬の像の前で大海原を目前に・・・、龍馬と同じ視線で海を見てみた

土佐の厳しい身分制度の中で、龍馬は才谷屋というお金持ちの商家に生まれ・・・

姉、乙女や母、幸に大切にされて育った

龍馬がいつ、いかなる時でも、人間愛を失わなかったのは幼い頃にしっかりとした愛情に育まれていたからこそ・・・と思っています。

常に日本という国を想う・・・大きな魂を抱き続け・・・

世界の大国から(虎狼)から弱小国日本(子羊)を守り切った男と言っても過言ではありません

世界に誇れる龍馬の世界にしばらく浸りました

 

1864
(元治元)
30歳 ・5月、幕府の「神戸海軍操練所」が完成し入所。
・池田屋騒動、禁門の変で多くの同志を失う。
・勝海舟の使者として西郷隆盛に会う。
・10月、海舟の江戸召還により操練所と塾が解散されたのち、小松帯刀、西郷隆盛の尽力で薩摩の保護を受ける。
1865
(慶応元)
31歳 ・近藤長次郎、高松太郎ら同志と薩摩へ行く。
・閏5月ごろ薩摩藩の援助で長崎に「亀山社中」を設立、通商航海業を営み、そのかたわら薩長和解に尽力。
1866
(慶応2)
32歳 ・1月21日、「薩長同盟」成立。
・1月23日、伏見寺田屋で遭難、寺田屋の養女お龍の注進で脱出。これをきっかけにお龍と結婚、西郷らの計らいで薩摩へ新婚旅行。
・6月、下関における対幕海術(第二次長州征伐)で亀山社中は長州の軍艦「ユニオン号」(桜島丸のち乙丑丸)に乗り組み、長州の勝利に大きく貢献する。
1867
(慶応3)
33歳 ・4月、亀山社中は「海援隊」と名前を変え、龍馬が隊長となる。
・後藤象二郎と会い脱藩の罪が許され、海援隊隊長を命じられる。中岡慎太郎が「陸援隊」隊長となる。
・4月、海援隊の「いろは丸」が紀州藩の船に衝突され瀬戸内海で沈没。紀州藩に「万国公法」やPRソングで交渉、賠償金8万3000両(実額支払い7万両)を獲得。
・後藤象二郎に「大政奉還」を勧める。
・6月、後藤象二郎に「船中八策」を示す。
・8月、長崎でイカルス号水夫殺害事件が起き海援隊に嫌疑がかかる。ために後藤と進めていた大政奉還運動が著しく遅れる。
・9月、事件解決とともに銃器1000挺を高知へ運び5年ぶりに坂本家に2泊して京都へ上る。
・10月13日、徳川慶喜は二条城で大政奉還を伝えた。
・11月、越前福井の由利公正を訪い新政府財政を相談し帰京後、船中八策を換骨脱胎した「新政府綱領八策」(諸侯会盟の覚書)を草した。
コメント (8)
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