MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『フォルトゥナの瞳』

2019-03-16 00:40:30 | goo映画レビュー

原題:『フォルトゥナの瞳』
監督:三木孝浩
脚本:三木孝浩/坂口理子
撮影:山田康介
出演:神木隆之介/有村架純/志尊淳/DAIGO/松井愛莉/北村有起哉/斉藤由貴/時任三郎
2019年/日本

SF作品であっても無理強いな「ドラマ」について

 近年まれに見る駄作だと思う。ツッコミどころは満載なのだが、基本的に無理に「ドラマ」を作っている感が拭えない。
 主人公の木山慎一郎は死期が近づいている人が透けて見える「フォルトゥナの瞳」を持っているのであるが、その「死期」が2、3時間後なのか2、3日後なのかはっきりしない。極論を言うならば人はいつか死ぬのだから「死期」の定義が曖昧だと全員透けて見えてしまうのではないのか。
 木山は恋人の桐生葵や幼稚園児たちが乗車する朝7時半発の列車が事故に遭遇する可能性を見出し、葵には沖縄旅行へ一緒に行くことで、幼稚園児たちは幼稚園に電話をかけて列車に乗ることを阻止しようと試みるも失敗してしまい、幼稚園から通報を受けた警察に追われる立場になってしまい、逃走中のタクシー内で奪った発煙筒をたいて線路内に下りて駅に到着する直前の列車の前に立ちふさがることで事故を事前に防止することには成功するのであるが、冷静に考えれば、木山はその列車に一緒に乗って事故が起こる寸前に車内の非常用停止ボタンを押せばいいだけの話しで大袈裟に立ち回る必要はないのである。その後の、桐生葵のモノローグも謎で木山に生きて欲しかったのなら何故助けようとしなかったのだろうか。
 脚本が酷いのか原作が酷いのか分からないが、演出も酷くて、例えば、木山に呼ばれてカフェを訪れた葵の体が透けていないことを確認すると、木山は何も言わずにカフェを出ていってしまうのであるが、外で立ちすくんでいる木山を葵が目で追っていないのは不自然であろう。三木孝浩の青春映画はかなり評価しているのだが、以上のことから本作は救いようのない駄作としか言いようがない。


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