空色カフェ

練馬区の桜台で「空色カフェ」をやっていました。

《情熱》と《愛》は違う

2013年06月28日 | Weblog
遠藤周作の『ぐうたら恋愛論』という本を読んだら、おもしろい事が書いてありました。


「美しく、魅力的な異性に惹かれる事は愛ではなく「情熱」である。

男と女が人生の苦しみも悦びも分かち合い、時にはつきなんとする二人の心の火を忍耐と努力によって一生、消さない時に生まれるのが「愛」である。

そして「情熱」は不安や苦しみによって燃え上がり、この不安や苦しみがなくなれば色あせるものである。


文学の中であらわされた恋愛は、ほとんどすべて「情熱」について書かれている。
安定すれば色あせる《情熱》を描いたのが近代小説の性格であり、安定したのち、男と女が、夫と妻が、一歩一歩、きずいていった《愛》を描いた作品はほとんどない。
《情熱》を《愛》と混同したり、《愛》の中に無理矢理に《情熱》をひきこもうとしたりする混乱が、現代人の愛情生活の中に生れてくる。
《情熱》のほころびた後に《愛》がはじまる。


よって結婚は安定であるから、《情熱》は存在しない。
倦怠がおそった時、それを賢明な智恵や、子供というごまかしにさえ頼って乗りこえるのが《愛》である。

多くの人妻がこの《愛》と《情熱》とをともすれば混同している。
現代の夫婦にとって必要なものはこの《情熱》と《愛》とを秩序ある見方によって区別する事から始まる。」

本の終わりの方の内容をまとめるとこんな感じでした。
なるほど…なかなか興味深い。

でも、他の夫婦を見ると《情熱》を保ちつつ《愛》をはぐくんでいるように見えてしまいますが、どうなのでしょう。私もそうあるように努力してしまいますが。
時代が変わったのか、まったく本質は変わっていないのか…
この本の時代よりは、やはり少し夫婦の関係も変わったと思いたいですが。


私「女房ってのは正月に食い過ぎたもちが腹にたまっているあの重苦しい感じの存在なんだって。
  分かる?」

夫「餅を食い過ぎた事無いから分からないナ~」

・・・ごまかされたのか?