朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

「大」に関する考察

2010年01月18日 | 考察ノート
「大」という文字は日本語では音読みで「だい」もしくは「たい」と読む。これがお隣韓国では「デ」もしくは「テ」と読むらしい。だから、昨年亡くなられた韓国の前大統領「金大中」氏は日本語読みでは「きんだいちゅう」だが、現地の仮名読みでは「キムジュン」となるし、以前火災にあったソウルの南大門(なんだいもん)は現地では「ナンモン」と呼ばれる。

そういえば「大祚榮」は「ジョヨン」だし、高句麗の要職「大輔」は「だいすけ」ではなく「ボ」と読むのである。

ドラマ中で「大高句麗」と叫ばれるときは、少しのばしたような感じで「デー・コグリョ」もしくは「テー・コグリョ」と聞こえる。この「デ」にも「テ」にも聞こえるというのが実は重要なポイントで、実際にはどちらでもない中間の発声ではないかという気がする。日本人が英語のr(アール)とl(エル)の区別がつきにくいように、本来は「で」でも「て」でもない音なのだろう。

面白い事実があって、高句麗は英語表記ではGoguryeoとなり、朱蒙以来、高句麗王の姓である「高」はGoである。だから朱蒙、ユリ王、ムヒュルが並ぶとGO!GO!GO!になるのだ。

さらに、善徳女王ことトンマンはDeokmanだし、もっと言えば金蛙(クムア)はGeumwaで帯素(テソ)はDaesoだ。

高句麗の発祥(つまりはプヨが存在していた地域)は、もともと朝鮮半島付け根よりさらに北の寒い地域である。寒冷地に住む人々は話すときに口を大きく開けるわけにいかないので、必然的に発声がにごりやすいという話を以前聞いたことがある(日本の東北弁も同様だ)。詳しいことは専門家に任せるが、おそらくそういうことではないのだろうか。

ところで、「大」を「で」もしくは「て」と読む文化は日本にも一部存在する。

大工 → でえく・でーく
大根 → でーこん
大変だ → てーへんだ

これはつまり、いわゆる江戸っ子の言葉である。(そのほか、「大きい」のことを「でかい」とか「でけえ」と言うのも同類かもしれない)

高句麗が唐と新羅の連合軍に滅ぼされたあと、多数の遺民が日本に逃れてきたのは確かだが、実はその多くが関東圏に住み着いていたという事実もある。(駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の7か国に済んでいた高句麗人が集められ武蔵国高麗郡がおかれたというのは、正史(「続日本紀」)にも記載されている)決して無関係とは言い切れないのだ。

ちなみに幕張メッセで有名な千葉の副都心「幕張」(まくはり)は、かつては馬加と書いて「まくわり」という地名だったそうだが、この馬加はズバリ、サチュルト(四出道)の馬加(マガ)が由来だということを言う人もいる。幕張から遠くない場所に四街道という地名があるのもなにかありそうな予感をさせるが、さすがにそれは考えすぎか。