朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

「大人」に関する考察

2010年01月15日 | 考察ノート

このブログもだいぶ間があいてしまった。その間にBS朝日の「ヨンゲソムン」もかなりストーリーが進み、本日で第67話に到達。約3分の2が終了したことになる。

本日の話で栄留王(コ・ゴンム)とヨンゲソムンのすれ違いは決定的になった。この先、物語は(栄留王にとって)悲劇的な結末へと向かっていくわけだが、ヨンゲソムンの未来も決して明るいわけではない(?)。ドラマは今後どのように展開していくのだろうか。

さて、高句麗に戻ってからのヨンゲソムンは時折『大人』(テイン)と呼ばれることがある。この『大人』という言葉は、ほかでもちょくちょく出てくるのだが、例えば同じ「ヨンゲソムン」でヨンゲソムンを新羅から隋へ引き取り、後に養親となったワン・ビン(隋の宦官)もそう呼ばれていたような覚えがある。

また、ドラマ「朱蒙」では宮殿から抜け出し卒本へと向かうユファとイェソヤを助けたのがチョン大人だった。さらに、「朱蒙」最終回で殺される漢のファン・ジャギョンも一般にはファン大人と呼ばれていた。

ここで言う『大人』は、もちろん現在日本で一般に使われている「大人」(成年)とはまるで意味が違う。現在は法律に定められているから二十歳になれば誰でも「大人」になれるわけだが、かつて『大人』には誰もが成れたわけではない。というよりはむしろ、かなり限定された、ごく一部の人物しか『大人』とは呼んでもらえなかったはずである。

「小人閑居して不善を為す」というコトワザがあるが、この『小人』の対極にあるのが『大人』と見てよい。 バスや電車の運賃で大人・小人という表記が使われることはあるが、一般に「おとな」の対義語といえば「こども」なのであって、『小人』とは、よく言えば一般人・凡人、悪く言えばろくでもない人物のことである。とすれば『大人』とは、本来、聖人君子もしくはそれに匹敵する人物のみに使われる言葉なのだろう。

『大人』の『大』の文字は、biglargeを意味するのではなく、尊称としての意味合いが強いのだと思われる。だから、時としてドラマ中で「大高句麗」という言葉が使われるのは、高句麗が広大な領土を持つということを意味するのではなく、「偉大なる高句麗」ぐらいのニュアンスなのだろう。その使い方は、およそ100年ぐらい前(?)わが国で使われていた「大日本帝国」という言葉にも受け継がれている。

現在の日本は「大人」という名の『小人』が『大人』ぶっていることが多すぎるのではないか。本来の意味で『大人』と呼べる人材があまりに少なすぎる、それが悲劇の元であるような気もする。