朱蒙(チュモン)が見た日本古代史(仮題)

「朱蒙」「風の国」「善徳女王」・・・韓国発歴史ドラマを題材に日本史を見つめ直す

「ヨンゲソムン」 第72話

2010年01月23日 | ヨンゲソムン
政変によって親唐派を一掃したあとも問題は山積みである。

唐への対応はもちろんのことだが、隣国の百済・新羅にはどのように対処するのか。高句麗にしてみれば、百済・新羅のいずれかと組めば唐への対抗は容易になる。逆に両側から攻められればひとたまりもない。百済や新羅にしても高句麗と組むという選択肢はあるはずだが、いまだお互いの腹のうちを探りあっているという状況である。

日本のような島国にいるとわかりにくいが、大陸にある国にとって、国境を隣り合わせにする国々との関係をどのように築くかというのは死活問題なのである。(まったくの余談だが、将棋や囲碁と同様、「オセロ」というゲームはもともと戦略的思考を学ぶために生み出されたものだったのではないか)

「ヨンゲソムン」第72話では、チュンニが使者として百済の義慈王のもとを訪ね、見事な駆け引きを展開している。

一方新羅では、キム・ユシンとキム・チュンチュが蹴鞠(?)に興じる姿が。 キム・チュンチュ(金春秋)は後の武烈王(新羅第29代王)であり、ドラマ「善徳女王」で言うところのチョンミョンの息子である。(のちにキム・ユシンの妹のうち一人と結婚することになる。ちなみに第72話には「ソンドク女王」の名前も出てきており、今後の展開が非常に楽しみである。)

ところで、金春秋が人質として日本に滞在していたという記述が日本書記にある。

『日本書紀』巻25大化3年(647年)是歳条「新羅遣上臣大阿滄金春秋等、(中略)仍以春秋為質。春秋美姿顔善談咲。」

朝鮮側の史書にはこのような記述がないので、おそらく韓国の専門家などは絶対に認めないだろう。金春秋については689年にも記述がある。 (しかし、金春秋は661年に亡くなっているはずだが?)

『日本書紀』巻30持統3年(689年)5月甲戌「金春秋奉勅。而言用蘇判奉勅。即違前事也。又於近江宮治天下天皇崩時。遣一吉」

ヨンゲソムンの乱

2010年01月23日 | ヨンゲソムン
もう少し先の話かと思っていたのだがあっという間にXデー(その日)がやってきた。ドラマ「ヨンゲソムン」第71話で描かれたクーデター。表題の「ヨンゲソムンの乱」は正式な表現ではないが、Wikipediaには以下のようにある。

「唐との親善をはかろうとしていた栄留王と、伊梨渠世斯(いりこせし)ほか180人の穏健派貴族たちを弑害し、宝蔵王を立てて自ら大莫離支(だいばくりし:高句麗末期の行政課軍事圏を掌握した最高官職)になって政権をとった」

こうして、ドラマ初期から長いこと登場していた”斜め45度の魅力”、コ・ゴンムこと栄留王もその生涯を閉じることとなったわけである。ドラマでは毒を飲んで自害したことになっているが、歴史書の記述では死体を切り刻まれた挙句に宮中の池に捨て去られたということだそうで、改革派の憤りが並大抵ではなかったことを物語っている。(ドラマ中のナレーションでは、「切り刻んだ」というのは中国の史書に記述されたものを写しただけという言い訳のような説明がなされていたが、千年以上も前の事実を明らかにするのはきわめて困難である)

ところで、このヨンゲソムンによるクーデターが起きたのは西暦642年のこと。興味深いことに、この時期には周辺の各国で謀ったように政変・クーデターが起きている。

642年 百済 武王の死(641年)にともない義慈王(ウイジャワン)が即位すると、貴族中心の政治体制を改革するため、王族や母妹女子4人を含んだ高名人士40人を済州島へ追放した。(義慈王はより反唐的な立場をとる)

647年 新羅 新唐派と反唐派が対立するなか、善徳女王の廃位を求める内乱が起き、この混乱の中で善徳女王亡くなる

645年 日本(倭) 乙巳の変:中大兄皇子と中臣鎌足による蘇我入鹿暗殺

いわば、大国「唐」の成立を機に東アジア全体が”歴史の転換期”を迎えていたわけで、日本だけが国内の権力争いに終始していたということはありえない。高句麗、百済、新羅の三国にしてみれば、少しでも自国の立場を強めるためには日本の支援が必要だと考えたはずであって、だからこそ7世紀中頃から後半にかけてはひっきりなしに各国の使者が日本を訪れていたのである。

百済、義慈王の息子「豐璋」が人質として日本に滞在していたり、新羅の金春秋(チョンミョンの息子)が自ら使者として日本にやってきたりしたというのは、そういう背景があるからと考えられるだろう。

ところで、現在もまた明らかに歴史の転換期である。米国の覇権は弱まり、中国が再び大国としての道を歩もうとしているように思える。内政で混乱して外交方針を誤れば、その国の未来は無い。7世紀の教訓は現代に活かされるのだろうか。