山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

町並みに誇りを 横須賀文化展

2011-10-21 20:10:11 | 市民活動・まち育て
 秋・冬野菜の畝づくりの遅れや集落の祭の準備を気にしながら、「遠州横須賀街道」の町並み文化展にあわただしく闖入した。
 にぎわいを忘れかけた旅館もきょうはウキウキしているようだ。
 
     

     

 裏街道から見てみると表とは違う景観の発見がある。
 地元産の醤油や酒の醸造を今も必死に死守している姿が建物からも感じられる。

                       

 この文化展はこうした街並みの美と歴史を背景としているところがコアだ。
 優れているのは取り組む側が、ここの的を外さないコンセプトを貫いているところだ。
欲を言えば、その掘り起しの成果を毎年展示・積み上げていくことがあると未来が近づいてくる。

               

                

 今年のアートは野外彫刻が多くなってきたような気がする。
 それほどに空スペースが増えてきたという現実があるからでもある。

 13年も続いてきたのは、取り組む側が無理な背伸びをしないでゆったり取り組んできているのを感じる。
 一部の優れたリーダーだけの奮闘から当り前の商店主が自前の工夫と技で参画するようになってきているように思えた。

 あらためて市民活動の要諦を踏まえた取り組みに驚嘆するばかりだ。
 何人かの知り合いにぱったり出会えたのもうれしいかぎりだ。

     
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お寺がレストランに!?

2011-10-20 20:51:20 | できごと・事件
 掛川市で昼食をすることになった。
 わが畑からほとんど出かけない日々だったので、好奇心が全開だ。
 鄙びたお寺のようだが、和食の素敵な料理屋だそうだ。

       

 庭は灯篭あり、ギンナンの落ちているイチョウの木あり、そばにお墓あり、でなんの変哲もないお寺であった。

               

 入口の「法寿庵」というカンバンだけが新しい。
 建物の内部は民家風の太い梁が圧巻で料理も期待できそうだ。
 
 残念ながら料理の画像を撮るのを忘れるくらい、和風のきめ細やかな食材を急ぎ口に入れてしまったのだった。
 ふだんはキリギリス食事をしているので、この多様な食彩は刺激的だ。
 予約を中心に人気ある和食レストランだそうで、平日の割にはお客もにぎやかだった。

                      

 廃寺は時代の流れではあるが、この行き先不透明な時代だからこそ、お寺・宗教者の出番ではないだろうか。
 民衆の苦悩・願いに敏感な宗教・哲学の真価が問われる今である。
 
 お笑い芸人にジャックされたテレビが流す浮薄が心を複雑にする。
 そんなことを思いながらも旧お寺のもつ重厚な余韻を楽しんだのだった。

 
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鳥居にも種類があるんだ!

2011-10-19 21:09:27 | 歴史・文化財
 先日、掛川市のねむの木村の近くを通ったとき発見した素朴な鳥居。
 上の横木に「反り」がある。
 しかもよく見ると、2枚に重なっている。
 上のほうを「笠木」といい、下の方を「島木」という。

 二番目の横木を「貫(ヌキ)」という。
 左右の縦の「柱」を貫いているのが特徴だ。
 しかも、その先端が斜めに切られているのが珍しい。
 小さいがなかなか味があり、同じ形のものが見当たらない。
 かっこいい。

      

 次は春野町犬居城の麓にある赤い鳥居。
 上の横木は「笠木」だけの丸太。
 下の横木の「貫」はなんと「角材」。
 2本とも先端の断面は斜めに切られている。

                  

 3番目の鳥居はわが集落の鳥居。
 すべて丸太で構成し、下の横木の「貫」は柱を貫いていない。
さらに、額を飾る「額束」がない。

 同じ鳥居でもこんなに微妙であることを初めて知った次第。
 「笠木」に「反り」があるものは、「明神鳥居」系。
 「笠木」に反りがないものは、「神明鳥居」系、というそうだ。
 
 だからどうというわけではないが、こうして鳥居を見る目が違ってくる。

 
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毎週つづく山里の祭礼

2011-10-18 20:42:44 | 歴史・文化財
 今月は毎週のように各集落の祭礼が続いている。
 先日は隣町の祭だ。
 林業の中心として栄えたこの町もこのあたりでは店舗がいちばん多い。
 なにしろ、コンビニが唯一1軒だけあるもんね。

         

 わが集落から見れば昼間からこれだけの子どもたちがいるのは、往時はすごかったに違いない。
 山車の彫り物も七福神や神話の人物が見事に彫られている。
 都会の山車と比較しても遜色ない作品だ。

                     

 わが集落の祭ははいよいよ今週開催となる。
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まだ通行止めが継続中

2011-10-17 22:34:09 | できごと・事件
          

 台風・大雨による土砂災害・道路崩落によってまだ道路の通行止めが続いている。
 とくによく利用する国道が3箇所ほど崩落しているのでいまだ足止めを食らっている。

                   

 したがって、細い林道や市道を迂回しながら町に出ることになる。
 生々しい現場は近づくことはできないが、まともと言われる道路でもあちこち爪痕が残っている。
 大雨がまた続いたら二次被害もあることは確実だ。

 災害と向き合うことで日本は急峻な自然とともに生活を営み、優れた文化と精神を育んできた。
 大災害があると人々は「祟り」をささやき、不当な弾圧や殺戮を揶揄(ヤユ)することで声なき声を集約した。

 当事者の権力も、巨大な寺を建設したり国をあげての行事をすることで、犠牲者の鎮魂に懸命であった。
 そのことで、みずからの汚れた手を禊ごうとしたのだった。

 「祟り」や自然への畏敬というものを削除してしまった今日、国を挙げての危機感が中枢にはない。
 いま、一人ひとりのなすこととは、なにからはじまるのだろうか。
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里山・長蔵寺の石仏

2011-10-16 21:20:36 | 石仏・石造物
 遠州の里山・長蔵寺地域に石仏がまとまって鎮座していた。
 いずれも、かつて廃寺となった長蔵寺境内の跡地の一隅にある。

       

 「役行者(エンノギョウジャ)」らしき長老。高下駄がしっかり見えないので同定がむずかしいが、近くの道路沿いにも役行者の石像がある。

                 

 お地蔵さんと思われるが、正座であるのが珍しい。多くは立像。
 手に持っているのは「蓮華」または「柄香炉」らしいが、わかりにくい。

                       

 庚申塔の青面金剛像。左手に弓・法輪・金剛杵(コンゴウショ)、右手に三叉鉾(サンサホコ)・矢・宝刀?などがなんとか読み取れる。
 光背に「文化3」年(1806年)の銘が刻まれている。

                               

 右手に錫杖(シャクジョウ)、左手に宝珠というスタンダードな立像。
 口がややおちょぼ口なのがかわいい。

 それぞれ個性的な作品であるのに、狭い敷地に追いやられているのが残念だ。
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里山・長蔵寺の諏訪神社

2011-10-15 18:39:49 | 歴史・文化財
 こじんまりした山里・長蔵寺に立派な神社があった。
 全国に6000社近くもあり、農業の守護神という「諏訪神社」だった。
 小さな山里のわりには立派な建物で、村人の心意気が伝わってくる。

             

 鳥居が銅で覆われているのも素晴らしい。
注連縄は作って間もないもののようだ。
 縄のかたちは、向かって右が太くて、左が細くなる標準的な「左末右本」型。
 源頼朝の守護を受けて以来、「武運長久」の軍神として御家人が全国に広めたらしい。

 近くの「塩沢遺跡」からは、石斧・縄文土器とともに青磁・天目茶碗も出土したということから、武士の支持も得ていたのだと思われる。

                   

 建物の軒下の懸魚(ゲギョ)が江戸時代以降はやった鶴と亀の彫刻を発見した。
 神紋の「柏」マークの瓦も見られた。
 こうした彫り物も凝っていたし、納めてあった御輿も立派だった。
 きっと、林業が盛んだった頃の造作に違いない。
 
 神社の老朽化をよく目にする中で、いまだに品位を保っている集落の結束が伝わってくる。

 一般的に神社の精神的停滞と退廃がはなはだしいことを痛感している。
 最近は、権力に寄り添う藤原系の「中臣神道」とは違う、闇のネットワークでありアウトローの「修験道」に関心をもちつつある。
 
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集落のまつり準備に総動員

2011-10-14 22:26:42 | 行事
 先日、来週行われる集落の祭礼の準備がありました。
 わが集落の担当は、神社周辺のの清掃と道路への提灯設置でした。
 朝7時集合してお昼までぶっとおしの野外作業は、さすがに疲れました。

         

 素晴らしいと思ったことは、国道の清掃・からんだ草木の伐採を自前でやってしまうことでした。
 都会だったら行政・業者に要求したりするのが一般的ですが、自前の資材・機材・人員を投入して自主的にやってしまうんですね。
「社会貢献」と言う言葉を声高に使わなくても当り前のようにやっていることに頭が下がります。
 集落の中にプロがいたことも大きいのですが、地域のために無償でやってしまうさりげない心意気に感心します。

                    

 忘れられたよき日本の心が健在です。
 集落総出でてきぱき動く共同作業は、地域のつながりの梃子(テコ)にもなっているんですね。
 都会で抹消されたつながりがここではまだまだ健在です。

  
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30~40年ぶりのクラス会

2011-10-13 21:20:35 | できごと・事件
 小学校のクラス会に出席することができました。
なんと、オイラには30~40年ぶりのことです。
 出席者の半分は年金暮らしですが、あと半分が経営者等としていまだ現役でした。
 出席が少なかったとはいえ女性は予想通り男よりパワフルでした。

 当時、いたずら名人のガキ大将は今では謙虚な好々爺になっているのも素敵でした。
 「ひょっとすると会えるのがこれが最後かなー」とつぶやくと、
 「これからは3年毎くらいのペースでやろうよ」と笑いあいました。
 
 「竹馬の友」はお互いの弱点・欠点も許しあえる関係がいいですね。
 また、小学校のときは目立たなかった子が、今ではいきいきとしていて颯爽としている姿に感心しました。
 人生は固定的ではないってことですね。
 内面から出る年輪の美しさにうなりました。
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魚のフライじゃないよ!

2011-10-12 13:59:37 | 食彩・山菜・きのこ
 近所の長老が「国道沿いにとても大きなキノコが4つあったよ」と教えてくれた。
 朝の会話で和宮様は「きのこを見に行きたい」としきりに言っていたので、渡りに船。
 和宮様はすぐさま偵察のため直行。

  

 歩いて5分ほどのところに確かにありました。
 「カラカサタケ」でした。
 去年は道草山にもカラカサタケが出ましたが、今年は雨や台風のせいか見かけませんでした。
 カサの直径が20cmほど。

                     

 リング状のツバが動くのが大きな特徴です。
 「これは食えるぞー」
 夕飯はさっそくカラカサタケをフライにしていただきました。
 見た目は魚のフライですが、確かな秋の香りがのどを通過しました。
 カサが大きいほど肉厚があり、旨みも歯ごたえも出てきます。
 ゴーヤの天ぷらもどんどん胃袋へ直行です。
 
 長老に感謝です。
 地元の人はあまり食いつきません。
 もったいない。もったいない。
 
 昨年、この先には超大量の「ヒラタケ」が収穫したのですが、今年はまったく出ていませんでした。
 きのこはほんとうに繊細です。
 
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