山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

貝塚はシジミだらけだった

2017-02-19 20:02:53 | 歴史・文化財
 浜松の市街地に行ったついでに市の博物館に寄り、隣の蜆塚遺跡を見に行く。
 そこは広い公園になっていて竪穴式住居が復元されていた。

                             
 
                                 
 住居の入口は狭かったが中は風雨に強いのがわかった。
 貝塚はそのまま積まれていてそのほとんどがシジミのようだった。
 「蜆塚」という地名はここからきたのだというのに納得。

                                  
 またその隣には、ムラの「山神社」というシンプルな神社があった。
 つまりこのあたり一帯は汽水域であり、森に囲まれた住みやすい場所だったのに違いない。
 神木の太さからもかなり古くからの神社であるのが偲ばれる。

             
 興ざめだったのは、燈火塔のほとんどに「あぶない、さわらないで、のぼらないで」というトタンのカンバンがつけられていたことだった。
 気持ちはわかるが美観を損ねるダメージのほうが大きい。
 祭神は山の神である大山祇命(オオヤズミノミコト)。


 
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