書名が気になって本書を注文して読んでみた。長堀優『日本の目覚めは世界の夜明け/今蘇る縄文の心』(でくのぼう出版、2016.11)を読む。1万年以上つづいたという縄文時代の遺跡からは戦火の跡がないという。世界の古代文明は数世紀で戦争や自然破壊で滅亡するのに、縄文の価値がやっと注目されつつある。その縄文の心の片鱗が何とか生き残っていて、それを再評価したいというのが著者の立場だ。
外科の医者でありながら、古代史にも造詣が深い。神話・ネイティブアメリカン・ユダヤ人・古代文字など、オラも関心ある分野を紹介しつつ、総じて、自然と人間との調和を旨としてきた日本人の振る舞いのルーツを縄文の心と読み解くのだった。基本的にはオラの考えとの親和性を感じる。しかし、ところどころに出てくるスピラルチュアルな感性は首肯できない箇所が気になった。
ときに感じる「霊性」(著者は靈性という言葉にこだわっている)が、やはり事態からの飛躍をたどり、結論への封じ込めの手段になってしまっているのを感じる。日本の歴史は縄文の心を排除してきた歴史でもあった。「征夷大将軍」の官職は縄文人への迫害の歴史の証明でもあったのではないか。その影響は近代では対外戦争へと露出したのではないかと思えてならない。
とはいっても、著者の言う「日本人の遺伝子に組み込まれた<愛と調和、分かち合い>の精神は、物質的にも精神的にも行き詰まった現在のこの世界に、必ず必要とされてくるはず」というくだりは理解できる。その理想主義的な明るさはなるほどと言いたいところだが、現実には北欧やECの先験的見解の先進性が、どうしょうもない現実の世界を牽引している。日本はそうした哲学を棚上げして目先の利害だけの小手先に明け暮れている現在・歴史だったのではないか。
「死」を何度も看取ってきた著者は、「生死一如(ショウジイチニョ)」、つまり、「死を見つめれば現在の生が輝く、生と死はひとつながり、と考える東洋の叡智は…、世界に誇るべき我が国の文化である武士道精神の根幹の一つを成す」との見解には共感するものがある。武士道精神を極端に考えてしまっていたが、他人の幸せのために尽くす「利他の志」とか「現世での名誉や物質欲ではなく、生かされていることのありがたさに気づき、感謝をする、そうすればおのずと謙虚な気持ちが芽生え、行動も変わってくる」ことを提言している。
こうした見解は、仏教や神道でも伝えられていて新しい考えではない。むしろ、それが日本の民衆史のなかでなんとか消化されてきたことが精神的遺産なのだと思う。これらをつい政治家や経営者らに求めてしまいがちだが、大切なことは、この応用を日々の暮らしの中で反芻し行動していくことに違いない。それが著者の願いでもある。