5月下旬、今まで気になっていた永田農法のトマトを購入して食べてみた。普通のトマトの糖度は4~5度だがこちらの糖度は倍以上もあるという。さっそく食べてみると確かにフルーツのように甘い。歯が悪いので皮が硬いのが難点だったが、これは旨味が半端ではない。ということで、当事者の永田照喜治(テルキチ)『食は土にあり/永田農法の原点』(NTT出版、2003.6)を読んでみる。
著者の仮説は「野菜や果物を美味しくするには、その原生地に近い環境を再現すればいい」というものだった。それは苦労して体得した経験とカンの賜物だった。と同時に、著者は「資本主義経済の発展とともに限られた土地で大量の収穫を上げるため、大量の肥料投与・農薬投与ということが繰り返し行われ、農業こそが環境破壊の一大原因」と指弾する。そこで、「自然に遠慮しながら…少なくとも、その土地を汚さない、そこの生態系をできるだけ壊さないようにする」としている。それはまたネイティブアメリカンの「七代前の先人の知恵を大切にし、七代後の子孫のことを考えて行動する」という言葉を引用している。
さらに続けて、遺伝子操作によるハイブリッドのF1種子を多国籍企業が独占し、農家はそれを毎年買わらざるを得ない坩堝にはまっていると指摘する。それはオラも種を買おうとカタログを見てみると7~8割がF1種子であるのに閉口する。これでは、地域の伝統野菜は生き絶え絶えとなり、種の採取も難しくなっていく。そして著者は、「現在の日本の野菜は消費者のためでなく、生産者や流通者の利便性、経済性のために作られている」という告発には大いに首肯するものだ。
そうして、「欧米型の多肥料・多農薬・多収穫・安全性無視の環境破壊型農業の時代は終わり」、自然と共存型の持続可能な「アジア型農業の時代」であることを強調してやまない。そのグローバルな視点は同時に、永田氏の交遊関係の豊富さも本書にふんだんに紹介されている。生産者・料理人・経営者・放送人・評論家・作家など、その関係は、土を通して人との関係が深まり、癒され、生かされてきたという。言い換えれば、「人と関わること、社会と関わることの大切さ」、園芸など「自分が何かの役に立っている」という実感を持つ大切さが、農業に内包されている。
そういうことから、「人は自然と関わり、人と関わることで生きがいを感じることができる」と、農業の中に希望をたたみかける。本書からは、永田農法の原点が語られているが、それはオラが今まで考えてきたことと矛盾しない。しかし、実際の農法はわからなかった。そのため、永田農法図解入りの本やDVDなどを確保した。これから、わが小さなわが農園に永田農法を少しずつ取り入れてみたいと思う。畝は高畝にすること、土壌の中身というより「液肥」で肥料をかける、肥料・水をぎりぎりまで抑えて栽培するというようなことが基本のようだ。
そんななかの本からの巻頭言。
「自然の森を 思い浮かべてください。
森に誰が 水や肥料をやりますか。 どこに土を耕す人がいますか。
森は何もしなくても、 ちょうどいいバランスを保ち、
瑞々しい緑を育んでいます。
私たちが食べる作物だって 実は同じことなのです。」
( 『永田農法おいしさの育て方』永田照喜治 から)