東洋・西洋の文化・歴史にわたる「知の巨人」、加藤周一の戯曲『消えた版木・富永仲基異聞』(かもがわ出版、1998.3.)を読む。
江戸中期に彗星のように現われ彗星のように31歳で夭折した町人思想家・富永仲基の存在はあまり知られていない。
戦前の代表的な東洋史学者・内藤湖南は、大阪出身の天才は秀吉・近松門左衛門と富永仲基をあげた。
資料が乏しいなかで、加藤周一はそのみずみずしい想像力で戯曲を書くことで富永仲基を世に送り出した。
これをもとに1998年、前進座で公演される。

富永仲基は、仏教・儒教・神道を批判し、それぞれは自説を強調するために始祖の正統であることを自説に加える「加上説」を執筆・出版する。
当然それぞれの宗派から圧力がかかり、儒教を推進する幕府からも闇の力がかかったらしいことで、出版した「版木」がなくなる。

戯曲の中でちらりと加藤周一の言いたいことが出てくる。
「生きるとは、言葉ではなくて、いや、考えることだけではなくて、感じることだ。」
「おれは争って、闘って、己をまもってきたのだ。おれの心は険しい。
人の心がどんなにあたたかく、心使いがどんなに細かくあり得るかを、はじめておれに教えてくれたのは、お前だよ。」

後半に湯川秀樹氏との対談が載せられ、東洋思想にも造詣の深い湯川さんの発言がまた興味深い。
「一般に日本の思想が貧弱であった理由は、要するにどこか外に権威を求めて、そこへよりかかっていくという、そういう弱さを、日本の昔からの思想家のほとんど全部がもっていた点にありますね。
それは現在でもありますよ。」

前進座の公演を見たかったが、この戯曲を理解するのは難しすぎる。
加藤周一の漢文知識の広さと深さが邪魔している。
18世紀の鎖国の時代、脱宗教化・相対化を問うた富永仲基の先駆性は、今日の宗教回帰・混乱の状況のなかで世界的に再評価されなければならないと思える。
本居宣長が埋もれていた富永仲基を絶賛してから多少世に知られたが、今また埋もれてしまっている。
加藤周一が掘り起こした「レガシー」(オリンピック施設でよく使われてきたね)を生かすことが現代人の役割でもあると痛感する。
江戸中期に彗星のように現われ彗星のように31歳で夭折した町人思想家・富永仲基の存在はあまり知られていない。
戦前の代表的な東洋史学者・内藤湖南は、大阪出身の天才は秀吉・近松門左衛門と富永仲基をあげた。
資料が乏しいなかで、加藤周一はそのみずみずしい想像力で戯曲を書くことで富永仲基を世に送り出した。
これをもとに1998年、前進座で公演される。

富永仲基は、仏教・儒教・神道を批判し、それぞれは自説を強調するために始祖の正統であることを自説に加える「加上説」を執筆・出版する。
当然それぞれの宗派から圧力がかかり、儒教を推進する幕府からも闇の力がかかったらしいことで、出版した「版木」がなくなる。

戯曲の中でちらりと加藤周一の言いたいことが出てくる。
「生きるとは、言葉ではなくて、いや、考えることだけではなくて、感じることだ。」
「おれは争って、闘って、己をまもってきたのだ。おれの心は険しい。
人の心がどんなにあたたかく、心使いがどんなに細かくあり得るかを、はじめておれに教えてくれたのは、お前だよ。」

後半に湯川秀樹氏との対談が載せられ、東洋思想にも造詣の深い湯川さんの発言がまた興味深い。
「一般に日本の思想が貧弱であった理由は、要するにどこか外に権威を求めて、そこへよりかかっていくという、そういう弱さを、日本の昔からの思想家のほとんど全部がもっていた点にありますね。
それは現在でもありますよ。」

前進座の公演を見たかったが、この戯曲を理解するのは難しすぎる。
加藤周一の漢文知識の広さと深さが邪魔している。
18世紀の鎖国の時代、脱宗教化・相対化を問うた富永仲基の先駆性は、今日の宗教回帰・混乱の状況のなかで世界的に再評価されなければならないと思える。
本居宣長が埋もれていた富永仲基を絶賛してから多少世に知られたが、今また埋もれてしまっている。
加藤周一が掘り起こした「レガシー」(オリンピック施設でよく使われてきたね)を生かすことが現代人の役割でもあると痛感する。