明るいときに見えないものが暗闇では見える。

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【ファニーゲーム (1997)】

2010年09月04日 | 映画


■『ファニーゲーム』予告編 (Youtube)

リメイクの『ファニーゲーム∪SA』でなくオリジナルの方を鑑賞。
上映当時はシネカノンにしては下衆な作品を配給しているなと思っていたのですが、DVD化はアルバトロスだったので安心w。

『わらの犬』的作品と思って鑑賞したのですが、ははぁなるほどボクは全くのハネケ監督の術中にハマったのだと思いました。

別荘へ遊びに来た家族が、見知らぬ若者二人の不条理な暴力により蹂躙されていくという作品なのですが、話には全く救いがなく、見事に観客の神経を逆撫でし不快にさせるだけの映画に仕上がっています。であれば単にクズ映画扱いになってもよさそうなものなのですが、カンヌでパルムドールにノミネートされ、各国でも話題に、ついにはハリウッドでリメイクされたという点、なるほどただのクズ映画ではないなと思いました。

通常このような物語の場合、主人公は不条理な暴力に耐えに耐え、最後はもう辛坊たまらんと犯人に復讐する、というのが映画の定石であるはずです。前出の『わらの犬』はまさにその代表で、我々観客は不本意ながらもその復讐にカタルシスを感じてしまう。つまり「暴力には暴力を」を容認し(させられ)、映画という仮想空間の中でではあるのだけどそれを娯楽化してしまっています。またその暴力を振るう側にもそれなりの理由、例えば過去に虐待にあっているなどのような、理解可能性を提示したりします。


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しかしこの映画はそれらすべてあざ笑うように振る舞います。彼らの暴力には意味がなくゲームを楽しむように進みます。その上導入部の卵のイチャモンからして全く犯人への同情心を起こさせない。デブの方の過去には同情すべき何かがあるようですが、それも本当か嘘かはっきりせずどうでもいいかのようにオマケとして付け足してあります。また犯人はカメラ目線で話しかけます。「どっちに賭ける?」「まだ劇場映画としては尺が短いよね?」などと観客をイラつかせ煽るのです。そしてついには"リモコン"という映画としての完全なる反則技までをも使って、観客が映画に望むカタルシスを奪い去ります。ほ~ら君たちの思うようにはならないよ、と。

「暴力映画とそれを楽しむ観客」という構図に対し真っ向から疑問を投げかけ(というか茶化し)、完膚なきまでに観客をたたきのめす。それこそがこの映画の評価される理由なのかと思います。『わらの犬』のペキンパーが観たらどう思うでしょうねw。

ところで監督が同じというリメイク『ファニーゲームUSA』ですが、予告編を見る限り、カット割りからなにから完全にコピーして作っているように見えます。そのため見比べる必要はなさげですが、奥さんがナオミ・ワッツだというだけで観たい自分がここにいますw。ただこんな類の映画ですから、有名俳優を使っているだけで不利と思いますし、全編に東欧映画のイヤ~な感じの流れるオリジナルの方がより本作の趣旨を表現できているだろうと思います。

映画を語る上でこの実験的な映画は一度見ておくべき作品かと思います。ただ二度とは見たくはないでしょうね。


評価:なし

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こんな映画をノミネートするカンヌにより一層信用ならなさを確信w。


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