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日光東照宮8(聖地で起きた歴史的事件)(最終回)

2021年03月26日 | 聖地
🌸日光東照宮8(聖地で起きた歴史的事件)

 ☆徳川家の権威を高めた日光東照宮建立計画

⛳神君家康を祀る聖地
 ☆日光東照宮は、日本を代表する神社
 *創建当初は今とは別の場所にあり、建物は地味なものだった
 ☆現在のような豪華絢爛な構造になったのは
 *家康を神とあがめて徳川家の権威を拡大する
 *その様な思惑を、幕府が抱いていたからだ

神格化を狙った家康の思惑
 ☆江戸幕府の支配が250年以上も続いた理由
 *一つは、家康が徳川家の安泰を脅かしうる勢力排除すること
 *死ぬまで気にかけたから
 ☆病床にあった家康
 *側近の以心崇伝に遺言を残した
 *自身の死後に遺体は久能山に納め、 一周忌を過ぎたら日光に移す
 *家康は、八州の鎮守として幕府を守護するとした
 *1年後日光に造営した社へ改葬
 *朝廷から「東照大権現」の神号を賜つた
 ☆3代将軍家光は、豪華絢爛な神社に変貌させた
 *それにより、家康の神格化政策を推し進めた
 ☆家光は、東照社から東照宮に改称した
 *日光山全体で2万石もの社領を与えられる
 *日光は山岳信仰だけでなく
 *徳川信仰の聖地として政治的な意味を持つ

⛳東照宮が焼かれかけた戦い
 ☆幕末に一度だけ焼失の危機を迎えたことがあった

 ☆江戸幕府は新政府軍に恭順の意を示し、江戸城を開城した
 *旧幕軍残党はこの決定を受け入れず関東・東北で抵抗を継続
 *宇都宮方面で敗北した土方らの部隊が日光に逃亡した
 ☆東照宮は新政府軍に降伏の意思を示していた
 *居座る敵軍に業を煮やし新政府軍は最後通告をした
 *神官たちも仰天して、旧幕軍を日光から追い出す
 ☆徳川のプライドを守ることに固執しなかったことで
 *日光東照宮は戦火から守られた
                         (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、「本当は怖い日本の聖地」



 日光東照宮8(聖地で起きた歴史的事件)(最終回)
(「本当は怖い日本の聖地」記事より画像引用)

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