慶喜

心意気
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江戸の公家(近衛家熙、近衛基熙)

2014年12月21日 | 散歩
江戸時代の公家

近衛家熙 ⇒主君、中御門天皇
近衛基熙 ⇒主君、後西天皇→霊元天皇
















江戸の公家(ネットより引用)

近衛家熙経歴
20歳で内大臣、右大臣、左大臣、関白に就任、中御門天皇の摂政となる
書道は、加茂流を学び、他に空海・小野道風らの書に学び独自の境地を切り開く
絵画は水墨画を好んで描き、茶道は慈胤法親王を師とした
有職故実にも堪能で、礼典儀礼を研究し『唐六典』が、家熙の没後に刊行された
自ら茶事をおこない、侘び茶人との交流でも知られています
京都大徳寺に葬られる

近衛基熙経歴
摂関家の当主として累進し、後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に迎える
内大臣、右大臣、左大臣へと昇進
関白就任手前で、基熈の後ろ盾後水尾法皇が崩御し、霊元天皇が新政
霊元天皇は幕府嫌いで、基熈も「親幕派」とみられて天皇から疎まれる
霊元天皇が、東山天皇に譲位し、新天皇誕生により、関白に就任し権勢をふるいました
京都大徳寺に葬られる

近衛基熙と東山天皇
東山天皇は、成長すると霊元上皇の院政を疎ましく思い、基熈への依存を強める
幕府も上皇の動きを警戒して、東山天皇への影響力を有する基熈との距離を縮める
東山天皇は、中御門天皇に譲位して院政を開始
東山上皇が疱瘡に倒れて崩御

近衛基熙と霊元上皇
東山上皇の突然の急死により霊元上皇の院政再開
基煕の関東接近を憎んだ霊元上皇は、基煕を「悪臣」と罵っています
親幕派・公武合体を進めた公卿として知られています

近衛基熙文学への功績
後水尾天皇の影響を受け、和歌、歌道、書道、絵画に才能を発揮
著書に『源氏物語』に注記を加えた『一簣抄』が有ります
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