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残酷な史実が隠された世界遺産の地(2)

2021年07月02日 | 歴史
🌸残酷な史実が隠された世界遺産の地(2)

⛳プエブラ歴史地区(メキシコ)
 ☆プエブラは、スペイン人がメキシコに入植した時築いた街
 *交通の要衝として、古くから栄えてきた
 ☆プエブラの近くのチョルラの街で
 *16世紀の初頭、大量殺りくが行なわれた
 *街を攻撃し、壊減させたスペイン人征服者のコルテス

 *2時間で3000人もの人々が殺された
 ☆コルテスは。先住民をキリスト教に改宗させた
 *チョルラには、神殿等の宗教施設が多く建てられていた
 *コルテスは300を超える建築群を破壊
 *その上にキリスト教の教会を建てさせた
 ☆コルテスらの征服から12年後
 *スペイン人たちにより、チョルラの近くに新しい街が建設された
 *「天使の街」と呼ばれるプエブラの街
 ☆華麗な建築と陶器の街として有名なプエブラ
 *先住民の悲劇の上に成り立っている

エルサレムの旧市街とその城壁群(イスラエル)
 ☆十字軍がエルサレムに降らせた”血の雨”
 ☆イスラエルの首都エルサレムにあるエルサレム旧市街
 *ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の重要な遺跡や建物がある
 *この地で、3つの宗教が複雑にからみ合う
 ☆十字軍の大虐殺も、聖地エルサレムで起こった悲劇
 *キリスト教徒が、イスラム教徒からエルサレムを奪還しようとした
 *教皇の呼びかけに、貴族や武人から庶民にいたるまでが熱狂
 *西欧から、はるか東方のエルサレムを目指して旅立った
 *彼らは、イスラム教徒の都市を侵略し聖地エルサレムヘ到着した
 ☆十字軍と呼ばれた彼ら
 *聖地で強盗や殺人といった残虐な行為をくり返した
 *イスラム教徒たちは、突然攻めてきたキリスト教徒たちに追われた
 *岩のドームに集まり、最後の抗戦を試みた
 *岩のドームには、惨殺されたイスラム教徒の死体が積み上げられた
 *殺された人々から流れ出た血は、兵士たちのくるぶしに達するほど
 ☆十字軍は、エルサレム城内のユダヤ教徒にまで手をのばした
 *十字軍は、ユダヤ教徒から財産を奪い
 *教会に逃げこんだ彼らを生きたまま焼いた
 ☆エルサレムの大虐殺
 *7万人以上ものイスラム教徒とユダヤ教徒が犠牲になった

シタデル、サン=スーシ城(ハイチ共和国)
 ☆カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島
 *ハイチ共和国は、その西側の3分の1を占めている
 ☆ハイチは、フランスの植民地だった
 *フランスは、スペインからハイチを割譲された
 *フランスは、大規模農園を設けて利益をあげていた
 *労働力は、アフリカから連れてこられた黒人奴隷たち
 ☆フランス本国で革命が勃発する
 *黒人たちが蜂起し、フランス軍と戦い独立を勝ち取った
 ☆大統領の座についたアンリ・クリストフ
 *フランスの反撃を恐れ、堅牢な城壁を造った
 ☆サン=スーシ城は、クリストフの居城として建設された
 *クリストフは延べ20万人を動員し、13年の歳月を費やした
 *過酷な労働は、約2万人の労働者の命を奪った
 ☆サン=スーシ城
 *大地震で損害を受け廃墟となった
                     (敬称略)
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『世界遺産に隠された話』





残酷な史実が隠された世界遺産の地(2)
『世界遺産に隠された話』記事、ネットより画像引用)

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