慶喜

心意気
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「文永の役」でモンゴル軍、武器不足で撤退した

2022年10月25日 | 歴史
🌸元寇で「神風」は、”2度”吹いていない

 ☆元寇の際「神風」が吹き日本が勝利したとされているが

元寇とは
 ☆大陸を支配していたモンゴル帝国と高麗王国
 *「文永の役」と「弘安の役」で日本を攻めた

 ☆高麗王国を手中にしたモンゴル帝国の皇帝フビライ・ハーン
 *自分が正統な中国王朝の継承者だと主張し
 *東アジア圏の国際秩序を再建しようとした
 ☆フビライは、日本も属国にしようと何度も親書を送った
 *鎌倉幕府はこれを無視しフビライ・ハーンを怒らせてしまった
 *フビライは日本征伐を企てた

”大陸の覇者”も神風の前の壊滅のストーリー
 ☆「文永の役」
 *モンゴル軍と高麗軍合わせて3万人↑もの兵が日本に攻めてきた
 *対馬・壱岐で殺戮をしたのち、博多湾へ上陸した
 *日本軍は、九州の御家人や武士たちを中心に総勢1万人
 *敵軍は毒矢や鉄砲など、見たことのない兵器を用いている
 *日本軍は大宰府まで撤退したが、このとき神風が吹いた
 *敵軍上陸の翌日、モンゴル軍・高麗軍の船団は海上から消えていた
 *上陸した夜に激しい暴風雨が吹き荒れ、帰らざるを得なかった
 *日本は勝利し人々は神風が吹いたとさかんに噂した
 ☆「弘安の役」(7年後)
 *高麗軍4万人を乗せた9百隻の船が日本に再び攻めてきた
 *モンゴル軍の上陸作戦がうまくいかないうちに
 *巨大な台風がやってきて、海上は5日間荒れまくる
 *4千4百隻の軍船はほぼ壊滅していた
 *このときもまた、神風が吹いた
 ☆神風のおかげで、日本は強大なるモンゴル軍を2度も追い払った

本当は「武器不足」で元は退散した
 ☆なぜこうも都合よく神風は吹いたのか
 ☆文永の役でモンゴル軍が撤退した本当の理由
 *モンゴル軍は『三国志』の諸葛孔明が赤壁の戦いで使用した
 *その日の吉方位などから、戦い方を導く占いだ
 *大陸で大帝国を築いたモンゴル
 *軍奇門遁甲を使って破竹の勢いで勢力を拡大してきた
 *日本侵略など雑作もないと少ない装備でやってきた
 *予期しなかった暴風雨にあい
 *モンゴル軍は逃げざるを得なかった
 *日本も、この奇門遁甲戦術を立てていた
 ☆フビライ・ハーン率いるモンゴル軍
 *3度日の日本征服計画を立てた
 *ついに日本に襲来することはなかった
 *元寇以外に、日本史上で神風が吹いたという記録はない.
                     (敬称略)                                     
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⛳出典、『日本史・意外な話』


「文永の役」でモンゴル軍、武器不足で撤退した6
(ネットより画像引用)

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