🌸三韓征伐を再現せよ(神裔たちの日清・日露戦争)4
⛳ヤマトタケルと重ねられた能久親王
☆天皇の命で、各地を転々として、最後は病に倒れるヤマトタケルの姿
☆天皇の命で、各地を転々として、最後は病に倒れるヤマトタケルの姿
*各地を転々として、最後は陣没する北白川宮能久親王に重ねられた
☆死去の翌月、大阪朝日新聞に能久親王を祀る神社
*台湾に建てるべきという論説が掲載された
*能久親王は、ヤマトタケル、後醍醐天皇の四皇子に並ぶ存在だった
☆能久親王をヤマトタケルと比較したものは多かった
*台南神社など台湾に創建され。能久親王は祭神として祀られた
*台南神社など台湾に創建され。能久親王は祭神として祀られた
*ヤマトタケルと同じく神になった
☆東京での軍人皇族の能久親王以外の銅像
*小松宮彰仁親王像、有栖川宮熾仁親王像、有栖川宮威仁親王像
⛳「昭和のヤマトタケル」となった永久王
☆陣没する皇族は珍しく、能久親王はヤマトタケルと讃えられた
⛳「昭和のヤマトタケル」となった永久王
☆陣没する皇族は珍しく、能久親王はヤマトタケルと讃えられた
☆陣没した皇族がいる
*能久親王の孫北白川宮永久王
*能久親王の孫北白川宮永久王
☆永久王
*陸軍士官学校、陸軍大学校を卒業、蒙軍参謀部配属で蒙彊に赴任した
*駐蒙軍はその政務指導や警備などを任務としていた
*訓練中の戦闘機に接触して重傷を負い、病院に運ばれるも死亡
☆永久王の死亡は事故死ではなく戦死と日本国内でも報道された
*駐蒙軍はその政務指導や警備などを任務としていた
*訓練中の戦闘機に接触して重傷を負い、病院に運ばれるも死亡
☆永久王の死亡は事故死ではなく戦死と日本国内でも報道された
*このときもヤマトタケルとの比較が行われている
*ビクターよリレコードが発売された
(「故北白川宮永久王殿下を悼み奉る歌」)
(「故北白川宮永久王殿下を悼み奉る歌」)
☆神社が建てられ「昭和のヤマトタケル」となった永久王
⛳招魂社から靖国神社ヘ
☆戦死すると神社に祀られる
*能久親王や永久王も靖国神社に合祀されたのだろうか
*戦前はノー、戦後はイエスとなる
*戦前はノー、戦後はイエスとなる
☆靖国神社の歴史
*長州藩出身の兵部大輔・大村益次郎の尽力により
*東京の九段坂上に東京招魂社が創建され
*戊辰戦争の戦没者が合祀された
☆前年、京都の東山霊山に招魂社が創建された
*東京の九段坂上に東京招魂社が創建され
*戊辰戦争の戦没者が合祀された
☆前年、京都の東山霊山に招魂社が創建された
*ペリー来航以来の国事殉難者が合祀されていた
☆東京招魂社が、 靖国神社に改称された
*現在、同社の外苑に大村益次郎の銅像が建っている
(敬称略)
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⛳出典、『「戦前」の正体』
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(台南社)
(永久王)
(靖国神社)
(京都招魂社)
『台南神社』『永久王』『招魂社』
(ネットより画像引用)