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歌舞伎

2013年01月14日 | 知識取得
歌舞伎道散策

『江戸連』で以前歌舞伎見た時面白かったですが、良く内容解りませんでした
浅草歌舞伎の席、ネットでゲットしましたので、今回散策しました




歌舞伎のいろは

敷居が高いといわれる歌舞伎だが、もともとは、庶民の娯楽です


『目』から楽しむ歌舞伎


歌舞伎の舞台はとても華やかでその絢燗な世界を見ているだけでも楽しめます
役者は、派手な真っ赤なラインを引いた化粧をしています
「隈取」といわれる独特の化粧ですが、種類も多数有り、それぞれに意味が有ります
赤は、若く正義感に溢れた英雄を表して、水も滴る美男子です
下瞼にそって紅をぬる、「助六」が代表です
悪人や嫉妬かした女性の場合は、黒や藍色を塗ります

豪華な衣装も魅力です。
歌舞伎衣装専門の貸衣装屋があり、一力月の公演が終わると衣装は返却されます
貸衣装屋は、着物の縫い目をほどき布の状態にし、シミを抜き、洗い張りをします
次に着る役者の寸法に仕立て上げ、新品同様にします
衣装の手入れは、1回の上演分で、衣装代として、3千万円↑です
衣装もその役の性格を表し、派手な衣装なら性格も派手、地味なら真面目です

『声』で楽しむ歌舞伎
歌舞伎では、客席から「成田屋!」という叫び声がします
「大向う」といい、その役者の屋号を叫んでいます
市川家なのに何故「成田屋」?
*歌舞伎役者の屋号の始まりは、市川宗家の「成田屋」です
*初代団十郎が、成田山に祈願したところ、二代目を授かったのが縁です
屋号は一体どのような経緯で付いている
*江戸時代、庶民は名字を持たなく、役者は、庶民よりも下の地位で、苗字有りませんでした
*歌舞伎役者は、今でいうところのタレントショツプを経営していた為金持ちでした
*経営していた店名が、そのまま、歌舞伎役者の屋号になりました
「大向う」は、誰がかけても良く、舞台と客席の一体感をかもしだしています

歌舞伎の『歴史』を知る
江戸幕府が開かれた時、京都では“出雲の阿国”らによって歌舞伎が起こりました
410年後の経て、現在の形になり、現在では、日本を代表する古典芸能です
『女性から始まった男性のみの芸能歌舞枝』何故?
出雲の阿国と名乗る女性の一座の歌舞伎が、何故男性だけの芸能となったのだろうか?
*阿国らが行った芝居は、女性が男装して舞台に上がるなど、従来の芸能と違う斬新なものでした
*「かぶき踊り(奇妙・奇抜)」と呼ばれ、その様な芸人の一座が次々と生まれ「女歌舞伎」と言われました
*幕府より、「女性歌舞伎」が風紀を乱すとして禁止されました
*その後、美少年たちが演じる「若衆歌舞伎」が人気を得ましたが、「女歌舞伎」と同じ理由で禁止されました
*嘆願により、少年の前髪を剃るという条件で、「野郎歌舞伎」として再会されました
*「野郎歌舞伎」が現代に続く歌舞伎になり、「西の藤十郎、東の団十郎」の東西の名優が登場しました
*上方の“和事”、江戸の“荒事”という、それぞれに趣の違う芸が確立されました
*『曽根崎心中』で有名な近松門左衛門も登場し、近松は、市中に生きる名もない人々を描きました
*それが、圧倒的な支持を受けた、歌舞伎は、庶民にとって最大の娯楽になりました

地方伝統の地歌舞伎
歌舞伎が見られる劇場は、東京の歌舞伎座、京都の南座、香川の金丸座などが有名です
地域住民が例祭の奉納行事としての芝居が、日本各地で『歌舞伎』として公演されています
地歌舞伎と呼ばれ、『子どもだけ』『女性だけ』が演じるものなどが地域ごとに有ります


桧枝岐歌舞伎(福島県
親から子、子から孫へと伝承されてきた歌舞伎文化は、270年の長い歴史を有します
鎮守神の祭礼に歌舞伎を奉納するという形で上演されており、舞台は神社の社殿に有ります
客席は露天で、神社への坂は、そのまま天然の観客席となっています
演じるのは桧枝岐の住民たちでなる「千葉之家花駒座」で、座員は30名ほどです
仕事の合間を縫っての稽古ですが、この歌舞伎は「素人離れしたもの」歌舞伎です



長浜曳山まつり(子供歌舞伎)
豊臣秀吉が、初めての男子誕生を喜び城下の人々に金を振舞いました
そのお礼に、町民が山車を作り、八幡宮の祭礼に曳き回したのが滋賀県の「長浜曳山まつり」です
祭最大の呼び物は舞台付きの曳山で行われる「子ども歌舞伎」です
*5歳~12歳の男子がする大人顔負けの熱演は、見物客の拍手喝采を浴びています
*又その前 に行われる「役者タ渡」も見ものです
コメント
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