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著者:坂野 昭彦 幻冬舎刊 ¥ 1,470
本書、読むことはおろか、書評すら未読である。
新聞の広告で、その存在を知っただけなのだが、その強烈な標題の
インパクトに、思わず取り上げてしまった。
贋札造りは、勿論犯罪である。
通貨や貨幣の流通量が、政府のコントロールを逸脱するということは、
経済の根幹を揺るがす問題であるがゆえに、贋札造りはどこの国でも
重罪として処分される。
ただ、れっきとした犯罪ではあるが、どれだけ精巧な偽札を作ることが
出来るかは、一種のコンゲームのような様相もあり、通常の犯罪とは
少し毛色が異なる側面を持っている。
例えば、偽札造りには、二つのアプローチがある。
一つは、機械をだますためのもの。
自動販売機や両替機等の機械による紙幣認識には、紙幣の特定の
パターンや磁気インクの場所等によるものが多く、それゆえに
人間の目や手触りとは全く異なる角度と精度によるものが多い。
そのため、見た目は紙幣には全く見えないようなものでも、
使用可能となるレベルとなる可能性はある。
もう一つは、人間をだますためのもの。
人の感覚器官は相当に優秀であることは、論を待たない。
偽札等も、手触りその他の微細な違いを検知し、アラームを
発することが出来る。
しかも、そうした違和感をより確認しやすいように、より細密に、
よりカラフルにと進化を続ける紙幣デザインに対して、それと
同等のものと作り上げることは至難の技と言える。
それに敢えて挑戦することが、このパターンである。
繰り返すが、どちらも犯罪であることは間違いない。
だが、その壁が乗り越えられないほど困難であればあるほど、
そこをクリアしたときのカタルシスも、また大きいのも事実である。
しかも、それが偽札造りという、成功してしまえば(=偽札と
誰にも気が付かれなければ)、被害者が出ない特殊な犯罪であれば…。
この辺りを実に上手く描いたのが、真保祐一の「奪取」である。
冒頭では、最初の簡易なパターンの偽札造りから始まって、主人公は
徐々にその目標を高めていき、最後は究極の偽札(それはもう真札を
造る、といえる行為ですらある)造りに挑戦していく。
いつものごとく、真保裕一の取材は緻密であり、その膨大な情報量を
実に上手く消化して、作品中に無理なく組み込んでいく手腕は見事
である。
本書を読んでいると、自分でも偽札が造れそうになるような錯覚すら
してくるから、不思議だ(笑)。
主人公が、まるで毛虫が蛹を経て蝶になるように、物語の進行に
合わせて名前が変わっていくところも、面白い。
最初は、感情移入しにくいかと思ったが、正に杞憂だった。
逆に言えば、そうしたことも含めて、この物語のテイストの一部と
することに真保祐一は成功しており、そのこと一つを取ってみても、
彼が当代一流のストーリーテラーであることを証明していると言える。
アニメに目を転じてみると、偽札造りと言えば、やはり「ルパン三世
カリオストロの城」が、あまりにも有名だろう。
こちらは、個人ではなく国家による偽札造り。
『! 面白くなってきやがった!』
『今は、これが精一杯』
『人を排泄物扱いしやがって! フンだ!』
『ルパンを追っていて、大変なものを見つけてしまった。どうしよう?』
『どこまで行くのかな?ク~ラ~リ~ス~(いやらしい笑い)』(笑)
『やつは大変なものを盗んでいきました。あなたの心です』
う~ん。
もう何年も観ていないけれど、台詞やシーンが次々に脳裏にフラッシュ
バックしてくる。
銭方のとっつぁんの、味のある?芝居がたまらなく面白かったなぁ。
故山田康夫ルパンのファンにとっては、聖典とも言える作品ではないだ
ろうか?
そして、本書である。
標題からして、意表をつく。
一文無しが贋札を造るとなれば、当然先の分類パターンでは、最初の
機械をだまくらかす方しか無理である。
人間をだませる程の偽札造りは、はんぱでない費用と手間がかかるの
だから。
でも、新聞広告を見ている限りでは、後者のパターンのような気も
する。
うーん。どんな作品なんだろう?
読んでみたい…。
いまだ、AMAZONにもその他にも、一切書評すら上がらないから
内容をこれ以上知ることは出来ない。
流石に、中も見ずに買っていると、家の書庫が溢れかえるのは必定
なので、近いうちに大き目の書店でも行って、中身を確認してみよう。
という備忘録代わりの、このコラム。
無事に確認でき、かつ気に入って購入し、読了した暁には、またその
書評をUPしたい。
(この稿、了)
本書、読むことはおろか、書評すら未読である。
新聞の広告で、その存在を知っただけなのだが、その強烈な標題の
インパクトに、思わず取り上げてしまった。
贋札造りは、勿論犯罪である。
通貨や貨幣の流通量が、政府のコントロールを逸脱するということは、
経済の根幹を揺るがす問題であるがゆえに、贋札造りはどこの国でも
重罪として処分される。
ただ、れっきとした犯罪ではあるが、どれだけ精巧な偽札を作ることが
出来るかは、一種のコンゲームのような様相もあり、通常の犯罪とは
少し毛色が異なる側面を持っている。
例えば、偽札造りには、二つのアプローチがある。
一つは、機械をだますためのもの。
自動販売機や両替機等の機械による紙幣認識には、紙幣の特定の
パターンや磁気インクの場所等によるものが多く、それゆえに
人間の目や手触りとは全く異なる角度と精度によるものが多い。
そのため、見た目は紙幣には全く見えないようなものでも、
使用可能となるレベルとなる可能性はある。
もう一つは、人間をだますためのもの。
人の感覚器官は相当に優秀であることは、論を待たない。
偽札等も、手触りその他の微細な違いを検知し、アラームを
発することが出来る。
しかも、そうした違和感をより確認しやすいように、より細密に、
よりカラフルにと進化を続ける紙幣デザインに対して、それと
同等のものと作り上げることは至難の技と言える。
それに敢えて挑戦することが、このパターンである。
繰り返すが、どちらも犯罪であることは間違いない。
だが、その壁が乗り越えられないほど困難であればあるほど、
そこをクリアしたときのカタルシスも、また大きいのも事実である。
しかも、それが偽札造りという、成功してしまえば(=偽札と
誰にも気が付かれなければ)、被害者が出ない特殊な犯罪であれば…。
この辺りを実に上手く描いたのが、真保祐一の「奪取」である。
冒頭では、最初の簡易なパターンの偽札造りから始まって、主人公は
徐々にその目標を高めていき、最後は究極の偽札(それはもう真札を
造る、といえる行為ですらある)造りに挑戦していく。
いつものごとく、真保裕一の取材は緻密であり、その膨大な情報量を
実に上手く消化して、作品中に無理なく組み込んでいく手腕は見事
である。
本書を読んでいると、自分でも偽札が造れそうになるような錯覚すら
してくるから、不思議だ(笑)。
主人公が、まるで毛虫が蛹を経て蝶になるように、物語の進行に
合わせて名前が変わっていくところも、面白い。
最初は、感情移入しにくいかと思ったが、正に杞憂だった。
逆に言えば、そうしたことも含めて、この物語のテイストの一部と
することに真保祐一は成功しており、そのこと一つを取ってみても、
彼が当代一流のストーリーテラーであることを証明していると言える。
アニメに目を転じてみると、偽札造りと言えば、やはり「ルパン三世
カリオストロの城」が、あまりにも有名だろう。
こちらは、個人ではなく国家による偽札造り。
『! 面白くなってきやがった!』
『今は、これが精一杯』
『人を排泄物扱いしやがって! フンだ!』
『ルパンを追っていて、大変なものを見つけてしまった。どうしよう?』
『どこまで行くのかな?ク~ラ~リ~ス~(いやらしい笑い)』(笑)
『やつは大変なものを盗んでいきました。あなたの心です』
う~ん。
もう何年も観ていないけれど、台詞やシーンが次々に脳裏にフラッシュ
バックしてくる。
銭方のとっつぁんの、味のある?芝居がたまらなく面白かったなぁ。
故山田康夫ルパンのファンにとっては、聖典とも言える作品ではないだ
ろうか?
そして、本書である。
標題からして、意表をつく。
一文無しが贋札を造るとなれば、当然先の分類パターンでは、最初の
機械をだまくらかす方しか無理である。
人間をだませる程の偽札造りは、はんぱでない費用と手間がかかるの
だから。
でも、新聞広告を見ている限りでは、後者のパターンのような気も
する。
うーん。どんな作品なんだろう?
読んでみたい…。
いまだ、AMAZONにもその他にも、一切書評すら上がらないから
内容をこれ以上知ることは出来ない。
流石に、中も見ずに買っていると、家の書庫が溢れかえるのは必定
なので、近いうちに大き目の書店でも行って、中身を確認してみよう。
という備忘録代わりの、このコラム。
無事に確認でき、かつ気に入って購入し、読了した暁には、またその
書評をUPしたい。
(この稿、了)
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書評から元本の書評を書くこと自体半分暴挙と思っているが、「本書、読むことはおろか、書評すら未読である」って、ここまで来るとかえって、痛快である。
想像書評家から、創造書評家の域に達した、MOLTA氏に、拍手である。
タイトルが妙に残っていたので、その残滓があるうちに、と思って一気に書きました。
広告もチラ見しかしていないから、結局この本にはあまり触れられていません。
これではいかんですね。
反省のコラムでした。
じゃー、お題をだしておくか。
「ムカデ競争」
いつか、想像、妄想を働かして、ブログを書いてくれることを期待しよう。