壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

『去来抄』7 続・春風に

2011年11月03日 20時13分13秒 | Weblog
        春風にこかすな雛のかごの衆

 ――この句、『去来抄』には作者名がない。しかし、『猿蓑』に荻子(てきし)の句として収められているので、それと知れる。荻子は、伊賀上野の蕉門で、伊賀上野の藩士。

 荻子のこの句、「雛の使」を詠んだもの、というのが定説のようである。
 三月の節句に、節句のお礼として、雛人形や雛の道具を小さな駕籠に乗せ、草餅・甘酒などを添えて親戚などへ配った。その使いの者を「雛の使」といった。
 すると一句は、「雛を運ぶ男衆よ、春風に浮かれて、駕籠の中の雛をひっくり返しなさんなよ」といった意になろう。何の計らいもなく、ポッと口をついて出たような、さらりとした句でユーモラスな感じもある。この点を芭蕉は、「あだなるところ」と評したのである。

 「あだ」は、これまで、女の美しくたおやかなさま、色っぽくなまめかしいさま、洗練されて粋なさまの意、あるいは、実のないこと、はかないこと、かりそめの意で解釈されてきた。
 それを、尾形仂氏が、当時の用例を詳しく検討し、「あだ」を「小児のごとき無心な態度から生まれた無邪気でユーモラスな詩趣」と結論づけた。
 あどけない、子どもっぽい、という意をあらわす語に「あだなし」があり、芭蕉先生の言う「あだ」は、こちらの意味であったようだ。
 したがって、「あだなるところ」は、あどけない、いやみのない作風、小児のような心で詠まれた句の味、ということになろう。

 この時期、芭蕉は、技巧の巧みな句、工夫をこらした句など、いわゆる念の入りすぎた句よりも、そうしたものを削ぎ落とした、計らいのない句を目指していた。これはやがて「かるみ」といわれる境地につづいてゆくものだが、そこへの一過程として「あだなるところ」を推賞したものと思う。

 「俳諧は三尺の童にさせよ、初心の句こそたのもしけれ」という芭蕉の言葉がある。知恵のついたが堕落の始まり、というのは、俳諧の世界だけではないが、何年も句を作っているとそれなりに身につけた技巧や知恵があって、かえって計らいが入り、とかく無心でものに向かうことを怠りがちである。いうなれば、形はととのっても魂が入らない。それでは人を感動させる力が生まれない。
 芭蕉自らが志向しつつあったものの中の一つを、伊賀の俳人たちが確実にマスターしてくれているのは、隠しようもなく嬉しかったのである。


      咲き盛る菊 神仏に手を合せ     季 己