壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

『去来抄』5 続・うらやまし

2011年10月24日 20時12分55秒 | Weblog
        うらやましおもひ切る時猫の恋     越 人

 ――『去来抄』には、変人が本文として使っている去来自筆本と、版本とがある。「うらやまし」の一条は、自筆本と、版本との間に、かなりの異同がある。
 参考のために、両本の異同のある部分だけではあるが、本文を掲げてみる。

    「心に風雅あるもの、一度(ひとたび)口にいでずといふ事なし。
     かれが風流、ここに至りて本性をあらはせり」 (自筆本)

    「心に俗情あるもの、一たび口に不出(いでず)といふ事なし。
     かれが風雅、是(ここ)に至りて本情をあらはせり」 (版本)

 「心に風雅あるもの」と、「心に俗情あるもの」とでは、文全体の解が異なってくる。
 幸いなことに、去来もこの句を「越人が秀作」(浪化宛書簡)とし、芭蕉も「よろしく候」(珍碩宛書簡)と認めているので、「風雅」とすべきであろう。

 長い和歌の伝統が作り出した「雅」に対して、俳諧は「俗」の中に詩をさぐるのが特徴の一つでもある。蕉門で、「風雅」・「風流」といった場合は「俳諧」をさす。また広義には「詩の心」といった意味もある。
 一句の意味は、「さわがしく鳴いていた恋猫も、時期が過ぎれば、すっぱりと思い切ることができる。それが執着を断ち切れない人間には羨ましい」ということであろう。
 笑いの中に人生の真を詠んでいる点に、芭蕉がこの句を高く評価する理由があったのかも知れない。
 芭蕉が俳諧に求めていたものを一言で言えば「高悟帰俗(こうごきぞく)」つまり、「高く心を悟りて、俗に帰るべし」という語になる。
 越人の句は、王朝風雅の恋を踏まえながら、猫の恋の本情を生かして俳諧に転じ、人の真情の表現に成功したもの、と芭蕉には見えたのであろう。

 越人は、芭蕉の十大弟子のひとりで、去来は、もう評価の定まった作者と思っていた。それが、この句によって、ようやく本来の素質が出てきたと師はおっしゃる、そうだったのか、とあらためて顧みる思いであったことだろう。
 では、ここに至って本性を現したという越人は、それまでどんな句を作っていたのだろうか。

        藤の花たゞうつぶいて別れ哉     越 人
        おもしろや理屈はなしに花の雲     越 人
        声あらば鮎も鳴くらん鵜飼舟     越 人

 ひねりがきかせてあるが、読み手の心の深いところに届くものがない。たいした発見も洞察もないのに、目さきを変えておもしろくしようとしているだけ。一応、俳諧の手法は心得ていても、もう一つ風雅の誠に届いていないのが、この時代の越人の句であったことが分かる。


      太子像にこみあぐるもの秋惜しむ     季 己