国立公文書館の展示の案内冊子を見ていると、面白いことが多い。

まだ当館に行ってない人のために、今回は、これをお知らせしたい。(他にもあるが、様子を見ながら)
1、4000石の大身の旗本 藤枝外記(名前は教行・のりゆき)と新吉原の遊女と相対死(心中)事件。
2、天明5年、1785年の事件で、「寛政重修諸家譜」とか事件取り調べた大目付久松筑前守の「久松日記」や太田南畝の「一話一言」などから公文書館で引用した文書で綴り、一般受けに面白く書いている。
3、藤枝外記は寄合(非役)で28歳。相手は新吉原京町の大菱屋の抱え遊女「綾絹」19歳。
心中したのは8月13日、場所は千束村の百姓平右エ門の家。
4、心中したのは千束村の「餌指」某の家。餌指とは,鷹狩りの鷹を飼育調教する鷹匠頭(1000石以上の旗本)の配下で鷹のえさとなる小鳥を捕ってくる役目とか。
5、心中を発見した餌指某が、藤枝家の屋敷に駆けつけ、「示談金を惜しまず出すなら、遊女の抱え主大菱屋に話をつけ、心中の事実を隠ぺいしてあげよう」と持ちかけた。
6、ところが藤枝家の家老は「当家の主人はそんな悪所(吉原)など行ったことはないはず」と突っぱねた。 そこで、某は上司の鷹匠頭にありのまま届け出た。
7、一方、藤枝家では、外記が病死したと届け出た。
8、取り調べの結果、藤枝家側の虚偽が露見。この結果、藤枝の御家は断絶。外記の妻「みつ」19歳と、母「本光院」49歳とも親類方に「押込」となった。ほかに藤枝家の用人2人も「押込」となった。
9、その他森山日記などには、餌指の某が事件を金で揉み消すよう持ちかけたのに、藤枝家の家老が、
「不案内」でこの種の事件が起きた時の対応をわきまえていなかったため、御家断然の憂き目を
みることになったと。
10、まったく、現在版の「危機管理」マニュアルと同じではないか。
11、その後、太田南畝の随筆には、その後江戸ではやった唄があると。
「君と寝やるか5千石とるか、何の5千石君と寝よう」
いつの時代も、3面記事の題材はあるもののようだ。

まだ当館に行ってない人のために、今回は、これをお知らせしたい。(他にもあるが、様子を見ながら)
1、4000石の大身の旗本 藤枝外記(名前は教行・のりゆき)と新吉原の遊女と相対死(心中)事件。
2、天明5年、1785年の事件で、「寛政重修諸家譜」とか事件取り調べた大目付久松筑前守の「久松日記」や太田南畝の「一話一言」などから公文書館で引用した文書で綴り、一般受けに面白く書いている。
3、藤枝外記は寄合(非役)で28歳。相手は新吉原京町の大菱屋の抱え遊女「綾絹」19歳。
心中したのは8月13日、場所は千束村の百姓平右エ門の家。
4、心中したのは千束村の「餌指」某の家。餌指とは,鷹狩りの鷹を飼育調教する鷹匠頭(1000石以上の旗本)の配下で鷹のえさとなる小鳥を捕ってくる役目とか。
5、心中を発見した餌指某が、藤枝家の屋敷に駆けつけ、「示談金を惜しまず出すなら、遊女の抱え主大菱屋に話をつけ、心中の事実を隠ぺいしてあげよう」と持ちかけた。
6、ところが藤枝家の家老は「当家の主人はそんな悪所(吉原)など行ったことはないはず」と突っぱねた。 そこで、某は上司の鷹匠頭にありのまま届け出た。
7、一方、藤枝家では、外記が病死したと届け出た。
8、取り調べの結果、藤枝家側の虚偽が露見。この結果、藤枝の御家は断絶。外記の妻「みつ」19歳と、母「本光院」49歳とも親類方に「押込」となった。ほかに藤枝家の用人2人も「押込」となった。
9、その他森山日記などには、餌指の某が事件を金で揉み消すよう持ちかけたのに、藤枝家の家老が、
「不案内」でこの種の事件が起きた時の対応をわきまえていなかったため、御家断然の憂き目を
みることになったと。
10、まったく、現在版の「危機管理」マニュアルと同じではないか。
11、その後、太田南畝の随筆には、その後江戸ではやった唄があると。
「君と寝やるか5千石とるか、何の5千石君と寝よう」
いつの時代も、3面記事の題材はあるもののようだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます