江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

センチメンタル・ジャーニー

2017年07月14日 10時42分42秒 | Weblog

7月13日、炎天下、池袋駅の北 豊島区要町を 古希を迎えたオジサン3人組で歩いた。

 

ここは、50年前、これらオジサンたちが学生下宿で生活を共にしたところだ。

東京に住んでいる吾輩でも、東京近郊や地方に住んでいる人も、特に目的がない限り、50年の昔の住居跡まで、訪問することはまずあるまい。

今回、小生へのお祝いのためと、50年昔の友人が集まってくれた。そこで、半世紀昔の学生時代の思い出を と無理して訪問した訳。それだけ各人の思い入れが大きいということか、当時の印象が強烈であったことか、衆議一決。

 池袋もご多聞にもれず都市計画や地下鉄副都心線の延伸で大きく変わっている。

丸ノ内線東京駅で集合し、池袋まで。ここで新しい副都心線に乗り換え要町駅まで。駅を降りてもさてどこだ?要町交番や要町小学校はと思いだしながら遠い昔の記憶を思い出しながら、狭い路地を迷いながら、昔のソバ屋とかラーメン屋とか、人に聞いたり番地を思い出しながら、闇夜の手探りで、やっとたどり着きました。

50年もたって周辺の家屋も建て替えがあったり持ち主が変更したりかなりの変化が見られるが、我らが下宿は昔のままで残っていました。住所表示は変化があったが後で聞くと昔の表示をそのまま保存的に使っていると。周辺のコミュ二テイが残っている。

遠慮なくベルを押して、50年前の下宿人ですと名乗った。家の中から出てきたおばさんは、昔の下宿のおばさんと雰囲気がそっくりの人。色々話していると当時下宿屋のお嬢さんで、母親は5年前他界した由。現在は下宿屋を、やっていないみたいなので当時の同年代の息子さんの消息を聞いたり旧聞を交わし、懐かしさが募る中、分かれた。50年前がよみがえったよ。

下宿周辺の八百屋では80歳のおばさんと話を交わした。彼女は当時30歳で嫁に来て50年住み商売していると。そうすると当時、この若奥さんとどこかで買い物したかもしれない。麻雀屋、ソバ屋等50年もの時間の流れの中で、消滅していた。往時茫々。

周辺の、食べ物屋や、細い路地を見ながらバス通りへ出たら道路が拡張されていて、雰囲気がちょっと変わっていたが、我らが、青春一時期を共に生活した、50年前のセンチメンタル・ジャーニーを楽しんだ。

後は新宿まで出て、宴会。  きょうは、思い出深い良い一日であった。

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