江戸の退屈御家人

世の中のいろいろ面白いことを野次馬根性で・・・・

秋田温泉三昧 その6 おしまい・附録 尾去沢鉱山跡

2014年10月09日 20時36分13秒 | Weblog

1週間も同じテーマではさすがに飽きが出るし、世の中も大きく動いている。

今日は吾輩、日本シニアテニス連盟の秋季親睦テニス大会に、玉川上水沿いの小金井公園に参加してきましたよ。月曜は台風で俳句の吟行会は中止。知り合いは皇居の清掃奉仕団の一員として掃除に行っている。

そこで秋田シリーズはこれでおしまいにするが、一つだけ吾輩のセンスから皆様にお知らせしたいのが、日本最大の銅鉱脈採掘跡の「尾去沢鉱山」遺跡である。温泉はいいが、温泉だけが秋田でないぞ。

ここは和銅元年708年に銅が発見され、平安後期には奥州藤原平泉の黄金文化を築いたといわれる。その後戦国時代江戸時代を通じて採掘され、明治以降、特に昭和は近代日本の礎となった鉱山で、昭和53年に閉鉱となった。  以後。近代産業遺産に指定されている。

吾輩は温泉に浸かるばかりの「おバカちゃん』ではありませんよ。小学生並みの社会科遠足もするのです。

坑道の入り口。

坑道のなか

三菱鉱業の社員のろう人形。

掘り残した黄銅鉱の結晶

そして、往時4000名もの社員を抱え、東北1の繁栄を誇った尾去沢も閉山に伴い過疎化。

尾去沢小学校の跡地標が墓標のように立っている往時茫々。無常迅速。すべては変わりゆく。同じものは一つもない。

   追伸 秋田の帰りに新幹線の切符を利用して、高崎から、両毛線に乗って、群馬県は「岩宿遺跡」をも見てきましたよ。

日本の縄文時代以前は存在しないとの通説を覆した、旧石器時代の石の矢じりなどが発見された場所だが、ここには、石の矢じりなどしかなくて、期待に反した。

この暑い夏の季節に、横浜は港北ニュータウンに発見された「大塚・勝歳土遺跡」(かちさいど)を見学した。ここ相模の国の北部に、縄文時代早期の土器や生活関連遺物、集合墓などが発見され、保存されている。

ここでもないのが先土器時代、石器時代の証拠物である。それは群馬県の榛名山のふもとの岩宿遺跡であると信じて、無理に時間を作って、感激の訪問だったが、石器時代の特性から、関東ローム層に埋もれ、2-3万年の間にすべて溶けてしまって、何も残っていない。

あるのは、数10遍の石の矢じりのみ。・・・・残念  過大な期待は持つべからず・・・・教訓

 

コメント
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