☆わんこと一緒の想い出と共に☆

シェルティと暮らしていたマールママの記録と記憶のためのページ

義兄を偲んで

2019年12月29日 | 私・家族

今年も残すところあと2日となりました。

歳を重ねるにつれ毎年、悲しい別れに接することが多くなりましたが今年1月に亡くなった姉の旦那さまの他界は私たち家族にとっても大きな喪失でした。

病気が発覚したのが去年の5月我が家に遊びに来て帰った直後のこと。

白血病という思いもかけない病名に驚きましたが、前向きに治療に取り組んで良い方向に向かっているかに思われました。

昨年の年末に自宅で年越しを迎えるため一時退院してきたと、私の夫と弟に電話をしたのが最後の声となりました。

容態の急変を聞いて夫と二人で駆けつけた病室の窓から見えた風景

一晩 私たちも病室に付き添い、翌日子どもたち孫たちに囲まれ幸せな最期だったと思います。

ベッドのそばに座って意識のなくなった大好きだった、おじいちゃんの手をとりいつまでも無心に自分の顔を撫でていた孫の大ちゃんの様子が忘れられません。

今年は、ママの方のおばあちゃんも亡くなり多感な時期に大変な年となり可哀想に思いました。

7ヶ月にも及ぶ病院の入退院の間、1日も休まず病院にも通い付き添っていた姉。

どこに行くにも一緒の、おしどり夫婦だっただけに急に一人暮らしとなった姉が心配で私も2ヵ月近く居てきましたが寂しさはまだまだ慣れないことと思います。

毎年、夫婦二人で旅行に行っていて昨年1月に結婚50年の記念を前倒しにと新婚旅行の思い出の地へと出かけ、

2月には仙台の弟の奥さんの遺品整理と大掃除を手伝いに(こちら

5月に我が家に来たときは実家に顔を出し皆で食事をしてきたし(こちら

その前には昔の会社の人たちとゴルフのコンペに出たりと、まるで生前のお付き合いのあった人たちにあいさつ回りをしていたかのようにお出かけが続いていました。

辛い抗がん剤の治療や病院生活も、看護師さんや先生から模範生や理想の上司と慕われ楽しんでいました。

退院するたびに、家の家電や家具を新しいのに買い替えていたり爆買いしていたそうです。

秋田に行くときに着るのだと新調していた帽子や洋服も。

最後の入院の時までは希望を失わず、弱音も吐かず

いつも前向きで温厚な性格の義兄は、みんなに慕われた優しいお父さんでありました。

男兄弟の居ない夫にとっても良きアドバイザーであり良き兄貴だったのです。

4年前の1月には義兄弟二人でハワイへと出かけ17日間もの間仲良く楽しい旅行を楽しんできました。

その間、私と姉は温泉三昧とでかけ夫婦揃って良いお付き合いをさせてもらっていました(こちら

何度も行っているハワイだけど、あの時が一番楽しかったと夫

「元気なうちに行かないと行けなくなる」と来年は年明けに友人と行く予定で今準備しています。

義兄とワンコの思いを胸にハワイへと!

私も、夫の留守の間姉のところで過ごす予定です。

来年はどんな年になるのでしょう?

義母、義妹、愛犬、義兄と喪中続きのこの数年・・・

これを機会に年賀状も書くことを止めてしまいました。

暗い話題が多くなりつつも備忘録としてブログを続けていますが

来年こそは楽しい話題を書くことができればいいなと思っています。

 

どうぞ皆さま良いお年をお迎えください。