先週の日曜日 入院中だった実家の母が退院しました。
お天気も良かったのでひとりで行くつもりでしたが旅帰りの夫も行くというので一緒に行きました。
病室の母。
それまで何度か見舞いに行きましたが、そのたびに容体も顔色も違っていて一喜一憂。。
食事を採れなく点滴だけ1週間も続いた後は(もう駄目なのかもしれない・・・)と。
足はパンパンに腫れて「痛い」という顔もうつろ。
正月明けに顔を出した時は、話もはっきりしていて少しだけ食事もできるようになっていた。
そして退院。
「よかったね」と手を握ってやると自分が「どこに行くのだ?」と不安そうに訊く。
表情もすぐれず、退院して本当に大丈夫なんだろうか・・と思った。
「ぐあい悪い?」と訊くと「・・・くたびれた・・」
泣きそうな顔で「みんなに心配かけて・・」と。
フォーレ(尿のバック)を付けて、腕や脚に注射の後が紫色に痛々しく。
明らかに体も気持も弱って去年の夏ごろとは違う。。
病院の前には介護タクシーが待っていました。
介護施設にショートステイの形で入所します。たまに自宅に帰ってきます。
母を思う気持ちと介護する兄夫婦を思うと辛いものがあります。
介護タクシーに兄嫁が乗り、兄は自分の車で後を付いて行くのを重い気持で見送りました。
施設まで送っていこうという夫の言葉をさえぎって義母の居る施設に向かう車の中。「あんな悲しそうな顔見たことなかったなぁ・・」と夫。
その言葉に、だんだん一緒に車に乗って、となりに付き添って手を握って送ってやればよかった・・と後悔の気持が。。そしてリクライニングされた車椅子に体を押し付けられたまま半べそをかいているような母の顔がずっと頭から離れなかった。
そのときは、夫も疲れているからという言い訳と、自分も疲れていて気持に余裕がなく、そこまで考えが及ばなかった。そして、次に義母のところに行かなければ・・という気持ちもあって。
明るくきれいな施設の義母の居る部屋
「おばあ~ちゃん♪」と優しく接する息子。
「髪がのびたなあ~!なんだい眼ヤニつけて」無表情な母に語りかけ、世話するところはワンコの世話と同じだと自分でも笑いながら言う。
なにも文句を言わないから、置いて来れるけど、あれで正気であったら「こんなところに居たくない!家に帰りたい!」と言うだろうなと、いつも帰り道。
老いて生きながらえるということは、なんと辛く重いことだろう。
今、母ふたりの本音は・・・母が言っていたように「もう、くたびれた・・」ではないのだろうか?
翌日、その後の母が気になって実家に電話しました。
施設に着いたら「ひさしぶりだね~」と職員の方や入所者の声をかけられたら、すっかり表情が変わって、いつもの表情で笑顔になったとのこと。
以前、わたしが実家に行った時、今の施設はいっぱいで、ずっと長く入って居られないというのを聞いて「うちのおばあちゃんのところお願いしてみようか」と話したことがあった。それを聞いていた母が、そこに連れて行かれるのかと心配して私が帰ってから兄夫婦に行きたくないと懇願したのだそうだ。
病院に入院中も、意識の中では、そこが家だったり病院だったりしていたけど、退院すると聞いて今度はどこに連れて行かれるのだろうという不安でいっぱいだったのだろう。
亡き父もそうでした。
ショートステイで施設に向かうときの顔はこわばって、いつものえびす顔は影を潜めた。その現実を回避するようにボケて介護され、ぼんやりとベッドの上で過ごすだけの日々だったような気がする。
最後の入院中、当時は皆で交替で付き添って大変だった。
私も40分ほどの車での往復で疲れていて退院したあとは、ホッとしたこともあってしばらく会いに行かなかった。
父の日・・気にかけつつも行かないでしまった。
その数日後、父は自宅で息を引き取った。母が傍にいるところで眠るように。
入院中の父と、いろいろ話をしました。
兄弟にも子供たちにも、みんなに好かれ優しい父でした。
悲しくて、悲しくていっぱい泣いたけど、どこかでホッとしている自分がいて。。
今、また母に同じようなことを思ってる複雑な自分がいる。
いつか自分も、そんな場所に立つ日が来ることも感じながらも。。
お天気も良かったのでひとりで行くつもりでしたが旅帰りの夫も行くというので一緒に行きました。
病室の母。
それまで何度か見舞いに行きましたが、そのたびに容体も顔色も違っていて一喜一憂。。
食事を採れなく点滴だけ1週間も続いた後は(もう駄目なのかもしれない・・・)と。
足はパンパンに腫れて「痛い」という顔もうつろ。
正月明けに顔を出した時は、話もはっきりしていて少しだけ食事もできるようになっていた。
そして退院。
「よかったね」と手を握ってやると自分が「どこに行くのだ?」と不安そうに訊く。
表情もすぐれず、退院して本当に大丈夫なんだろうか・・と思った。
「ぐあい悪い?」と訊くと「・・・くたびれた・・」
泣きそうな顔で「みんなに心配かけて・・」と。
フォーレ(尿のバック)を付けて、腕や脚に注射の後が紫色に痛々しく。
明らかに体も気持も弱って去年の夏ごろとは違う。。
病院の前には介護タクシーが待っていました。
介護施設にショートステイの形で入所します。たまに自宅に帰ってきます。
母を思う気持ちと介護する兄夫婦を思うと辛いものがあります。
介護タクシーに兄嫁が乗り、兄は自分の車で後を付いて行くのを重い気持で見送りました。
施設まで送っていこうという夫の言葉をさえぎって義母の居る施設に向かう車の中。「あんな悲しそうな顔見たことなかったなぁ・・」と夫。
その言葉に、だんだん一緒に車に乗って、となりに付き添って手を握って送ってやればよかった・・と後悔の気持が。。そしてリクライニングされた車椅子に体を押し付けられたまま半べそをかいているような母の顔がずっと頭から離れなかった。
そのときは、夫も疲れているからという言い訳と、自分も疲れていて気持に余裕がなく、そこまで考えが及ばなかった。そして、次に義母のところに行かなければ・・という気持ちもあって。
明るくきれいな施設の義母の居る部屋
「おばあ~ちゃん♪」と優しく接する息子。
「髪がのびたなあ~!なんだい眼ヤニつけて」無表情な母に語りかけ、世話するところはワンコの世話と同じだと自分でも笑いながら言う。
なにも文句を言わないから、置いて来れるけど、あれで正気であったら「こんなところに居たくない!家に帰りたい!」と言うだろうなと、いつも帰り道。
老いて生きながらえるということは、なんと辛く重いことだろう。
今、母ふたりの本音は・・・母が言っていたように「もう、くたびれた・・」ではないのだろうか?
翌日、その後の母が気になって実家に電話しました。
施設に着いたら「ひさしぶりだね~」と職員の方や入所者の声をかけられたら、すっかり表情が変わって、いつもの表情で笑顔になったとのこと。
以前、わたしが実家に行った時、今の施設はいっぱいで、ずっと長く入って居られないというのを聞いて「うちのおばあちゃんのところお願いしてみようか」と話したことがあった。それを聞いていた母が、そこに連れて行かれるのかと心配して私が帰ってから兄夫婦に行きたくないと懇願したのだそうだ。
病院に入院中も、意識の中では、そこが家だったり病院だったりしていたけど、退院すると聞いて今度はどこに連れて行かれるのだろうという不安でいっぱいだったのだろう。
亡き父もそうでした。
ショートステイで施設に向かうときの顔はこわばって、いつものえびす顔は影を潜めた。その現実を回避するようにボケて介護され、ぼんやりとベッドの上で過ごすだけの日々だったような気がする。
最後の入院中、当時は皆で交替で付き添って大変だった。
私も40分ほどの車での往復で疲れていて退院したあとは、ホッとしたこともあってしばらく会いに行かなかった。
父の日・・気にかけつつも行かないでしまった。
その数日後、父は自宅で息を引き取った。母が傍にいるところで眠るように。
入院中の父と、いろいろ話をしました。
兄弟にも子供たちにも、みんなに好かれ優しい父でした。
悲しくて、悲しくていっぱい泣いたけど、どこかでホッとしている自分がいて。。
今、また母に同じようなことを思ってる複雑な自分がいる。
いつか自分も、そんな場所に立つ日が来ることも感じながらも。。