自分は、いわゆるお祓い体質ではない。
霊能者というのとも違うと(自分では)思っているのだが・・・。
その場の流れを引き寄せる、
あるいは話に引き込む事によって
結果、お祓いになる。
でも、それは
あくまでも祓う清める掃除する
であって、癒し?というのとは違う。
中庸化(ニュートライズ)は
また別の事。
単一法より複合法のほうが効果が上がるのであれば、
ためらわず複合しちゃうし
効かないとなると、意地になるからね
自分も。
何とかしてやるわい!
とか思う訳でね。
しかし、その場合でも
殲滅や滅殺はしませんね
お祓いですから。
でね、
苦しい思いして修行だのなんだの、やる必要はないのね。
出来る奴に手伝ってもらえば言い訳だから。
そういうノウハウなりテクニックはね
本来は教わらなくても修行なんかしなくても
行使出来る筈なんだよね。
だから、
それは別段特殊な技術ではないので、
(教習所に行くまでは車の運転方法を全く知らないだけで、運転能力が無い訳ではない。というのと同じことな訳だから、)
手伝う方としても、大仰に構えて見下す必要も、哀れむ必要もないのね。
それは当然のことだから、お互い気楽に
気を使わずに行きましょうと。(別な意味の、気を使う事は・・・アレだけど。)
当然の言ながら、そういう機会に巡り会わないと意味が無いのでね。
出会ったとしても、楽しくないとね。(例えば、自分が痛い思いしても、他の人や殊に施術者などが喜んでくれるならば・・・・・・・)
そういう意味も含めての
「お笑いはお祓いだ!」
なのだよね。
ま~ね、やってる本人が楽しめないようでは
お祓いもなにもあったもんじゃないとは思うですよ。
(注:尚休は、御神酒があればいつでもご機嫌ですがね。)