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富士周辺五名城と諏訪の旅-3-

2024-03-14 07:20:59 | 取材・旅行

令和6年3月8日~10日まで、富士周辺五名城(山中城、小田原城、石垣山一夜城、甲府城、武田氏館)と諏訪を廻ってきました。

20回にわたって紹介しています。

今回は、山中城2 です。

今回は、 岱崎出丸側 の後編です。

前回は、①から④を紹介しました。

看板がありました。

文字起こししてみましょう。


構築途中の曲輪跡

東側(説明板の右手) は御馬場曲輪西堀の堀を掘った時に出たブロック状のロームにより小高い丘のように造られ、北側には土塁が積まれている。
遺構らしいものはそれだけであるが、尾根を削り成形しながらここに曲輪を構築すべく工事を急いだ様子がうかがわれる。しかし、時間的に間に合わず、そのまま工事の途中で戦闘に突入したものであろう。ここの整備にあたっては、当時のゆるやかな西側への下り傾斜を再現し、構築途中の様子がしのばれるよう配慮した。


実は、どこのことかよくわかりませんでした。

さらに南へ下ります。

すり鉢曲輪は一番端です。その手前に一段高くなった見張り台がありました。⑤です。

文字お起こししてみましょう。


すり鉢曲輪見張台

出丸の先端に位置するこの見張台は土塁上の一角をやや拡げて、土塁と兼用させたものである。すり鉢曲輪南側の樹木を低くすることにより、三島・沼津方面から韮山城まで手に取るように望見できる。見張台直下北側の平坦な部分が堀の跡で未調査ではあるが、試掘りの結果、非常に傾斜角が強く、この堀底から見張台までは八m以上もあり、武具をつけた敵がよじのぼることは不可能な状況を呈していた。


見張り台からから下を見ると・・・・。航空写真の赤い部分です。

すり鉢曲輪です。⑥です。

再び北へ戻ります。

④の御馬場堀を反対から見た様子です。

説明板がありました。

文字起こししてみましょう。


御馬場北堀

御馬場の西側に構築された深い堀は、南は米光川上流に開いているが、北の部分はここの帯曲輪で堀留めとなっている。この西堀と対をなすかのように、堀の上幅八mの北堀が発掘の結果検出された。
この堀は北にのび、すり鉢曲輪か出丸の中腹をめぐる堀と直交するのではないかと推定される。
北堀の復元については、未調査部分の中腹の調査されてから検討することになっており、今回の整備では堀の位置だけ示すにとどめた。いずれにしろ御馬場の西堀と北堀の両者で、出丸の尾根を二分しようと
する戦略上の意図が察知できる堀である。


航空写真の⑦にあたります。

ドローンはダメですよ!

動画を紹介します。

Yajiさんの お城巡り 伊豆 山中城 岱崎出丸編 【Yamanaka Castle, Daisakidemaru part】

山中城・岱崎出丸の畝堀を撮影(2013/11/20|27秒)

明日は本丸側です。 富士周辺五名城と諏訪の旅-4-


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