岩倉街道と岩倉城址-2-
2025年4月30日(土)、愛知ウォーキング城巡りクラブ(AWC) 「岩倉街道と岩倉城址」へ行ってきました。 講師は、七種英康先生です。その様子を、数回にわたって紹介しています。
電車で岩倉駅に移動しました。
東へ向かって歩き、米乃家の前を通り、神明生田神社に向かいました。
山内一豊公生誕地の碑がある神社です。
説明がありました。
起こしてみましょう。
山内一豊誕生地
山内一豊は天文一四年(一五四五)岩倉城の家老山内但馬守盛豊の二男として、この地に誕生した。
大正八年(一九一九) 二月神明生田神社の遷座式に一枚の棟札が発見され、これが一豊のこの地での誕生の有力な資料となり、山内家では史家沼田頼輔文学博士に調査を行なわせ、岩倉のこの地を一豊誕生の地と認め、ここに贈従三位山内一豊公誕生地の碑を建てた。
父盛豊は岩倉城落城(永禄二年三月)のとき戦死。一豊一五歳の時であった。その後、一豊は家臣の五藤浄基が供て母や弟妹と共に刈安賀の城主浅井新八郎政高の許に身を寄せ、しばらくして牧村政のもとに寄寓。ついて山岡景隆に仕え、永禄一〇年(一五六七)~元亀元年(一五七〇)頃織田信長に仕える。天正二年(一五八四)には長浜で五千石の領主となり、同八年(一五九〇) 遠州掛川に移封六万石の領主となった。秀吉の死後徳川家康に味方し、慶長五年(一六〇〇) 四国土佐で二〇万二千六百石の領主となり、高知城を築城。そして五年後の慶長一〇年(一六〇五) 九月二一日一豊没す。享年六一歳。
私は、岩倉市に2年間勤務していましたが、旧木曽川町にも2年間勤務していました。木曽川町の人の山内一豊愛もよく理解しています。
黒田城跡は、現在の一宮市立黒田小学校にありました。そこには、次のような説明板があります。
読んでみましょう。
黒田城跡
明応年間(一四九〇年代) 相模の国から尾張に入った五藤源太左衛門光正が黒田に館を築いたのが始まりと考えられる。
戦国時代の黒田城
天文年間、岩倉城を本拠とする織田伊勢守信安は家老山内但馬守盛豊を黒田の城代とした。弘治三年(一五五七)七月に山内盛豊は黒田城で夜討にあい長男十郎と共に討たれた。
その後、犬山城主織田十郎左衛門信清の弟 織田勘解由左衛門尉廣良が城主となる。永禄五年(一五六二) 織田廣良が美濃軽海で討死したあと、犬山織田の家老和田新助が城主となる。
天正二年(一五七四) 伊勢長島における一向一揆の戦いで新助が討死にし、弟の和田八郎定教が城主となった。
天正十年(一五八二) 織田信長が本能寺で明智光秀に討たれた後、織田信雄は伊勢・尾張を領することとなり、清洲入りし、沢井左衛門尉雄重を黒田城主とした。
天正十八年(一五九〇) 小田原北条氏攻めのとき、一柳伊豆守直末戰死、豊臣秀吉は弟の一柳四郎右衛門直盛に一柳家を継がせ黒田城主三万石とした。四郎右衛門改め一柳監物と名乗った。秀吉の死後、家康側につき関ヶ原の戦功により伊勢神戸五万石に転封された。
その後、家康の四男松平忠吉が尾張に封ぜられ家臣冨永波守忠兼は一柳監物の去ったあとの黒田城に入った。「清洲分限帳」によれば慶長十四年まで黒田城をあずかっていた模様
山内一豊この城に生まれる
天文十四年(一五四五)に山内一豊は、盛豊の三男としてこの地で誕生した。
弘治三年七月、黒田城夜討にあい父盛豊、兄十郎が討死。一豊と母弟妹は土居の後ろにかねて作っておいたかくし窓を突き破って竹藪に逃げ、生竹を倒して橋とし、堀を渡って岩倉城にたどりついた。
のちに信長、秀吉に仕え、小田原戦の後、秀吉より掛川五万石の領主に封ぜられた。
関ヶ原の戦いでは、いちはやく家康側につき、戦後この功により土佐国一国二十万石の大名になった。
ここではジャッジはできませんが、今後、新しい資料が出るのを期待します。
もっとも、このままでも私は良いと思っていますが・・・
動画です。
戦国山内氏紀行 山内一豊公〔尾張・岩倉神明生田神社〕〔山内一豊誕生地碑と大河ドラマ放映記念碑〕
【城を観る+】《黒田城(尾張国)》2021 〜山内一豊生誕の城!黒田城跡を観る〜
その東側。ここには防空壕があったそうです。
一豊橋です
旧五条川川筋
この青い線をご覧ください。
下の「旧五条川」の川筋が道路に残っているのです。
それがこの道路
この資料、そして次の資料も、現地の説明の図です。
動画です。
【城を観る+】《岩倉城(尾張国)》2021 〜織田敏広が築城!岩倉城跡を観る〜
明日の第3回に続きます。
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