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三河 安祥城と周辺史跡 -1-

2024-04-14 07:25:39 | 取材・旅行

2024年4月13日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る東海の古城史跡」(2024年4~6月)「三河 安祥城と周辺史跡」へ行ってきました。

講師は七種英康先生です。その様子を、5回にわたって紹介します。

今回は、①安城古城、②安城陣屋、③東条塚・千人塚です。

集合は南安城駅。初めて降りたと思います。

安城はいろいろある市です。

はじめは、①安城古城 です。

後の安祥城へ移転する前の居館です。

文字起こししてみましょう。


市指定史跡 安城古城址
          昭和三八年一〇月一日指定

安城町社口堂(しゃくちどう)の舌状台地(ぜつじょうだいち)の端に位置する居館跡です。
平安時代には志貴圧(しきのしょう)の荘館があったとする説がありますが、詳しくはわかりません。鎌倉時代には地頭の館となり、安藤氏が居館としました。

室町時代は和田氏五代の本拠地となり、一四三八年(永享一〇)の永享の乱後、安祥城を築城し移転したため、廃されるに至ったとする説があります。また、一五四〇年(天文九) 織田勢が安祥城を攻めたとき、松平側はここを前線基地のひとつとして兵をいれて戦ったとも伝えられています。


動画でご覧ください。


次が、②安城陣屋 です。

文字起こししてみましょう。


市指定史跡  安城陣屋跡
         昭和四三年四月一日市指定
江戸時代、旗本領の陣屋跡です。一六九八年(元禄十一)、旗本 久永信豊 海郡安城村、米津村、加茂郡加納村四三五四石を知行したとき、ここに陣屋を設けました。 その時から、一八七一年(明治四)廃藩置県まで、一七三年間、久永領の行政の中心となった場所です。
郷土の文化財を大切にしましょう。


一般的に、一万石以上が城、それ以下が陣屋といわれています。

43564石の久永領の中心がここだったのです。

背後から見ると、高台につくられていることがわかります。

動画でご覧ください。

 


③東条塚 です。

説明です。

文字起こししてみましょう。


市指定史跡
 東条塚(とうじょうづか)
         昭和三六年一〇月一日指定

安城城(安祥城)をめぐる攻防戦の舞台となった古戦場のひとつです。一五四〇年(天文九)六月、尾張の織田信秀が安城城を攻撃しました。

北方より押し寄せた織田信秀と、城から繰り出して戦ったという松平軍が戦った主戦場は、安城城北方面であったと考えられていま 
す。 安城城の城代松平長家(まつだいらながいえ)(安城佐馬助)(あんじょう さまのすけ)は、この戦で多くの家臣とともに戦死しました。
この戦を含めた幾度かの攻防戦の死者を弔い、十三の塚が築かれました。この東条塚は戦の応援にかけつけた東条松平(とうじょうまつだいら)(西尾市吉良町)の康忠(やすただ)が戦死した場所に築かれた塚であると伝えられています。
郷土の文化財を大切にしましょう
            安城市教育委員会


安城城(安祥城)をめぐる攻防戦」を安城合戦といいます。

尾張・織田と三河・松平との間で、安祥城の取り合いが、天文9年(1540)~18年(1549)の10年間で3回から5回起きました。

 その死者を弔う塚の一つが東条塚です。

十三の塚」とは、今回めぐる、東条塚、千人塚、姫塚、富士塚、のほか、場所がわかっていない、恋塚、貴人塚、堀平十郎塚、玄塚、古見塚、大道塚、鏡塚、金蔵塚、大胴塚のことを言います。

東条塚から見た千人塚です。

③千人塚

千人塚について、http://kikakubito.net/anjomap/652/ より引用します。


千人塚とは、「戦人塚」とも書かれることが有って、ここはかつて戦国時代の安城合戦において、大激戦が繰り広げられました。敵味方合わせて約1000人もの死者が出たと言われて塚が築かれたところです。天文9年(1540)6月6日のことです。安城城にいたのは松平長家(ながいえ)で、そこへ尾張の織田信秀(のぶひで)と刈谷の水野忠政(ただまさ)連合軍が攻めてきました。総勢3000人の軍勢です。迎え撃つ長家は約1000人です。城の外に出て戦い一時は追い返しましたが、長家の討死をはじめ信康(のぶやす)、康忠(やすただ)など主な将を失い、大敗をしたのは松平軍でした。その後、織田信秀は城代に信広(信長の兄)を置きました。


仙風舎柳月 による 千人塚を詠んだ句の碑です。

松風の 琴に月澄む 塚の秋 (まつかぜの ことにつきすむ つかのあき) 

仙風舎柳月は、本名 鈴木平兵衛1853~1942)で、安城生まれの俳人です。

安城合戦については、詳細な動画があります。

【合戦解説】安祥合戦〜小豆坂の戦い〜 松平 vs 織田 〜 三河国をひとつに纏めあげた 松平家当主 松平清康の突然の死に 三河の国衆や地侍らに動揺と狼狽が襲った 〜

ですが、概略を理解するには、地元の高校生が作った解説動画があるので、そちらをご覧ください。

次回へ続きます。 次回は、メインの安祥城です。

安祥城周辺-1- -第2回- -第3回- -第4回- -第5回-


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