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大野城・大草城-1-

2024-02-11 07:26:27 | 取材・旅行

2024年2月10日(土)、栄中日文化センター主催、「歩いて巡る愛知の古城と史跡」(2024年1~3月)「水軍の城・大野城と知多の名城・大草城へ行ってきました。

講師は七種英康先生です。その様子を、数回にわたって紹介します。

今回の訪問地です。

今回は①齋年寺-1-

スタートは、ゼロ、名鉄大野町駅です。

始めて利用したかも?

前においしそうなえびせんべい屋「津多屋」さんがありました。

帰りに2袋買いました。

途中、ふらっと本多忠勝の子孫の方が立ち寄られたのこと。

忠勝は、関ヶ原の戦いの後、伊勢国桑名10万石の藩主となり、墓所は桑名市の浄土寺にあります。地元の人なのでありうることでしょう。

東龍寺です。

家康に関係の深い寺です。

元々、家康の母、於大の方は四代緒川城主の水野忠政の子です。

知多半島は、水野氏の影響力が強く、関係の地が多くあるのです。

本能寺の変の時、家康は大坂から岡崎城へ帰還するために伊賀越え後、船で知多半島につき、さらに知多半島を周り船で三河大浜へと渡ったといわれています。

知多半島で数日滞在したのが、この東龍寺なのです。東龍寺の住職は、於大の方の妹の子で家康の従兄弟だからなのです。

現在も家康の若かりし頃の肖像画をはじめ、徳川家ゆかりの掛け軸が大切に保管されているそうです。

画像出典 https://www.chitamaru.jp/art/2951/

 

いよいよ齋年寺です。

場所を確認しましょう。

寺は戦国時代には兵の集合・宿泊場、時には要塞になることもありました。

そのため、重要な寺は、街道沿いにあることが多いのです。この場合も同様ですね。

鳴海から常滑、師崎まで常滑街道が通じていますが、その間に、鷲津砦、大高城もあります。

くわしくは次をご覧ください。

ここから https://network2010.org/article/275

齋年寺に戻りましょう。

 

家紋が「扇紋」です。

「扇紋」だけも100種ほどありますが、例をご覧ください。骨は3本、5本、7本とあります。

出典 https://irohakamon.com/kamon/ougi/

すぐ上(左から3番目)の島原扇紋は、10本の骨があります。

齋年寺の紋は「9本」。珍しいのです。

案内板です。

文字起こししてみましょう。


尾張大野散策路
⑰ 斉年寺
萬松山斉年寺は、曹洞宗の寺院で、大野城主佐治家の菩提寺として知られています。
当寺は、初め、享禄年間(一五二八~三一) 宮山の大野城の城内に建立されましたが、天正十五年(一五八七) 大野城とともに亡び、ついで、天正十六年現在地に再建されました。
寺宝に、国指定重要文化財の「達磨大師二祖慧可断臂図(えかだんぴず)」、市指定文化財の青磁香炉、木造釈迦如来座像があります。


長くなりました。

明日に続きます。


大野城・大草城-1- 大野城・大草城-2- 大野城・大草城-3- 大野城・大草城-4- 大野城・大草城-5- 大野城・大草城-6- 大野城・大草城-7- 大野城・大草城-8- 大野城・大草城-9-最終回


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