昨日(2023年11月18日土曜日)、中日文化センター主催、「歩いて巡る愛知の古城と史跡」(2023年10~12月)「長久手古戦場めぐり」へ行ってきました。
講師は、七種英康先生です。その様子を、数回にわたって紹介します。
○印が今回の訪問地です。
1は集合名所のリニモ「長久手古戦場」駅
2は今回紹介する長久手古戦場
駅に早く着いたため、イオンモールの屋上から、周囲の景色を見て回りました。
私が住んでいる濃尾平野の扇状地(ほぼ平ら)ですが、平野の東端らしい丘陵地でした。
いかにも砦をつくりやすい、戦場の臭いがプンプンする地形でした。
最初に訪問したのは古戦場公園です。
ここが庄九郎塚(国指定史跡)です。
池田恒興の長男、池田元助(之助)の戦死の地です。天正12(1584)年、4月9日26歳でした。
岩崎城から引き返した池田恒興、元助、森長可軍は、仏が根の地(古戦場公園、および北側一帯)で家康軍と激突。先に父恒興が討たれ、その死を知った元助は、「父のかたきも討たず、この場をさることなどとは武士として恥ずべきことであり、池田家後々までの不名誉であろう。池田の家名はわしがおらんでも輝政がおる。(中略)わしは、父が戦死した場所で、そのあとを追い、武士の家に生まれた者の孝行の道を世の人々にみせてやるのだ」と敵勢につっこんだといわれています。
が、一般にこうした話は後世の創作が多いのです。
実際の戦場で、このような長い言葉を誰が聞き、誰が記録できたのでしょうか?
古戦場の碑です。
そしてこちらが勝入(しょうにゅう)塚。
秀吉方の武将、池田元助の父、池田恒興(勝入)戦死地を示す塚です。
池田恒興は、清須会議にも参加した有力な武将です。
「小牧長久手合戦図屏風」では、首が取られた後が描かれています。
取ったのは永井直勝。
この話は、下の記事で書きました。
2023年6月10日(土)、中日文化センター主催、「歩いて巡る愛知の古城と史跡」第3回 「織田信長初陣の地で家康伊賀越上陸地の三河大浜」へ行ってきました。
その様子を、6回にわたって紹介します。今回はその最終回。
宝珠寺です。ここは、永井直勝の父・長田重元の屋敷(大濱羽城)があった場所といわれ、直勝もここで生まれました。異説ありですが・・・。
https://blog.goo.ne.jp/syaraku0812/e/ed136eddfb146161142af3dc996c4dd4
歴史はつながるからおもしろい!
最後に、長久手市役所 郷土資料室です。
イオンの屋上から見ると
近くで見ると
展示室の様子です。
もう少し詳しいのがこの動画。
明日に続きます。
長久手FWへ行ってきました -1-
長久手FWへ行ってきました -2-
長久手FWへ行ってきました -3-
長久手FWへ行ってきました -4-
長久手FWへ行ってきました -最終回-
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