宮澤賢治の里より

下根子桜時代の真実の宮澤賢治を知りたくて、賢治の周辺を彷徨う。

72 『銀河鉄道の夜』とのこと(その3)

2008年11月26日 | Weblog
 今回は [双子の星のお宮→蠍の火→さそりの形の三角標] に関して述べたい。
 まず、
 [双子の星のお宮]について
 草下 英明氏は『宮沢賢治と星』(草下英明著、學藝書林)の中で次のように言っている。
 これは、星座の双子座のことではなく、賢治の他の作品『双子の星』の中で「天の川の西の岸に小さな青い二つの星が見へます」と書かれているもので、青い二つの星とあるからには、蠍座の尾の毒針にあたるλとυという二星であろう。共に緑色の美しい星で、世界各地を通じて、兄弟、夫婦、双子に見られている星である。(*)
【Fig.17 さそり座(『星座図鑑』(藤井 旭著、ポプラ社)より)】

たしかに、蠍座の尾っぽのところには並んだ青っぽい星が2つ(写真左の中央やや下)ある。もちろん、中央やや右上の赤い星がアンタレスでである。

 [蠍の火]について
 『銀河鉄道の夜』の中の
 川の向う岸が俄かに赤くなりました。楊の木や何かもまっ黒にすかし出され見えない天の川の波もときどきちらちら針のやうに赤く光りました。まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔ったようになってその火は燃えているのでした。
「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」ジョバンニが云いました。
「蝎の火だな。」カムパネルラが又地図と首っ引きして答えました。

    <『新編銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫)より>
の”蠍の火”はこの赤いアンタレスがそのモデルであろう。
 草下氏はアンタレスにつては
 (アンタレスとは)蠍座α星の固有名詞で、アンチ・アレス(火星に対抗するもの)からきた呼び名です。アレスはギリシア神話に登場する軍神の名で、火星を意味します。赤色のアンタレスの近くにしばしば火星が赤さを競うように近づいたところから、この名がつきました。
なお、アンタレスは、蠍の心臓のところに光るから、ラテン名でコル・スコルピオ(蠍の心臓)といい、中国では青龍の心臓として心宿と呼ばれています。
また、(大火とは)アンタレスの中国名で、火(か)ともいいます。(*)

と説明している。
 実際、上記のことを賢治は『土神ときつね』の中で
 蠍ぼしが向ふを這ってゐますね。あの赤い大きなやつを昔は支那では火と云ったんですよ。
   <宮沢賢治全集 第6巻(ちくま文庫)より>
と言っているとのこと。

 [さそりの形の三角標]について
 これももちろん蠍座がモデルであろう。実際、
 ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生けん命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神さま。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。って云ったという。そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰ったわ。ほんたうにあの火それだわ。」
「さうだ。見たまへ。そこらの三角標はちゃうどさそりの形にならんでゐるよ。」
 ジョバンニはまったくその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりの腕のようにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのようにならんでいるのを見ました。そしてほんとうに そのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。

    <『新編銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫)より>
とある。
 具体的には、カゴカツギの心星三星からなる両天秤を”三つの三角標がちょうどさそりの腕”に、蠍座の尾から毒針は九つの星からなるというが、そのうちの5つを”五つの三角標がさそりの尾やかぎのように”のモデルとしたのかな、と思う。

 というわけで、[双子の星のお宮→蠍の火→さそりの形の三角標]のセットは蠍座をモデルにしていることが明らかであろう。

 ところで、この”三つの三角標がちょうどさそりの腕”についてだが、『星の方言集 日本の星』(野尻 抱影著、中央公論社)では次のような内容のことを述べている。
 かごかつぎぼしはさそり座の主星アカボシで、それをはさむ左右の星とでやや折れた∧形を作る。これを中央が農夫で、二つの籠を擔いでいる姿と見、カゴカツギボシという。
 また、カゴカツギの農夫を商人と見た方言にアキンドボシ(商人星)があって、分布はすこぶる廣い。あるいは、アキナイボシ(商い星)と呼ぶところもある。
 中國では、カゴカツギは廿八宿の心宿三星である。史書の天官書には『心は明堂となす。大星は天王、前後の星は子の屬なり、直きを欲せず、直ければ天王計を失ふ云々』とある。これは三星の角度で帝王の運命を占ったもので、わがカゴカツギの角度で豊作や相場を占う原型は、あるいはここにあるかとも思われるが、この心宿三星と、参宿三星(三つ星)とが同じ季節に空に位置しないことで、「参商協(あわ)ず」という成語がある。商星は心星と同じ意。

【Fig.18 かごかつぎぼし(『星の方言集 日本の星』(野尻 抱影著、中央公論社)より)】

上図において、あかぼし(アルタイル)=α星、天秤の右=σ星、天秤の左=τ星である。
 中国では、蠍座のα星、σ星、τ星の三つの星からなる宿は”商宿”あるいは”心宿”と云われてきた。これらが”心宿三星”である。また、オリオン座の三つ星は参宿と呼ばれてきた。こちらが”参宿三星”である。もちろん、蠍座は夏の、オリオン座は冬の星座の代表格であり、これらは天球上では反対側に位置する。したがって、これらの二つの三星は同時期の夜空には見ることは出来ないから、「参商協ず」とか「参商の如し」という成句ができたと云うことのようだ。なお、ギリシア神話の関係で言えば、オリオンはサソリが怖いからサソリが夜空に見えるときは逃げて隠れているいるのだ、とも言われている。

【Fig.19 さそり座(『星座図鑑』(藤井 旭著、ポプラ社)より)】

 そこで私は次のように考えた。
 賢治は、このカゴカツギの心宿三星からなる両天秤を”三つの三角標がちょうどさそりの腕”のモデルにした、と。さらには、”五つの三角標がさそりの尾やかぎ”については、蠍座の尾から毒針はεμζηθικνλの九つの星からなるというが、賢治には見えたそのうちの5つの星をこのモデルとしたのではなかろうか、と。
さていかがであろうか。

 ところで、いままでに何度か出てきた”三角標”だが、これは三角測量の際に使われる櫓のことで、『地図豆 おもしろ地図と測量』の”132.測量と通信手段 ”に丁寧に述べられている。
 賢治の生きていた頃は全国的に三角測量が行われ、その際には、三角点の上には遠くからでも見通せるような木製の高い櫓(=三角標)が建てられたのだと云う。なお、この三角標という櫓の形状は三角錐あるいは四角錐であったとも云う。
 賢治は当然測量学にも詳しいから、『銀河鉄道の夜』の中の
 ごとごとごとごと、その小さなきれいな汽車は、そらのすすきの風にひるがえる中を、天の川の水や、三角点の青じろい微光の中を、どこまでもどこまでもと、走って行くのでした。
    <『新編銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫)より>
とある部分は、実際に三角標の櫓に取り付けられたという回照器からの太陽光、あるいは回光器の発光した光を”三角点の青じろい微光”のモデルにしているのだろう。
 また、同作品には
 ごとごとごとごと汽車はきらびやかな燐光の川の岸を進みました。向うの方の窓を見ると、野原はまるで幻燈のようでした。百も千もの大小さまざまの三角標、その大きなものの上には赤い点点をうった測量旗も見え、野原のはてはそれらがいちめん、たくさんたくさん集ってぼおっと青白い霧のよう、そこからかまたはもっと向うからかときどきさまざまの形のぼんやりした狼煙のようなものが、かわるがわるきれいな桔梗いろのそらにうちあげられるのでした。じつにそのすきとおった奇麗な風は、ばらの匂でいっぱいでした。
    <『新編銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫)より>
とあるように、実際測量が開始されると山々の頂きに、赤と白に塗り分けられた測量旗の掲げられた三角標が立ち並ぶのだそうだ。

 結局、三角標は三角点の上に立ち、三角点は山頂に置かれることが多いから”山頂≒三角標”という近似式が成り立ち、しかも、例えば『三つの三角標がちょうどさそりの腕のようにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのように』と作品中にあることから”三角標≒星”という近似式が成り立つだろうから、賢治の心象世界では
  ”山頂≒三角標≒星”
 よって、私の結論は
   賢治の心象世界では ”山頂≒星”
という近似式が成り立つのではなかろうか、である。

 そして、『銀河鉄道の夜』を繰り返して読んでいるうちに気がついたことがある。それは、賢治は蠍座、わけてもアンタレスを愛していたのではなかろうかということである。つまり、次のような仮説を立てることが出来るのではなかろうか。
   ”宮澤賢治は蠍座、殊にアンタレスが大好きだった。”
 そこで、この仮説の妥当性を検証してみよう。たとえば『新編 銀河鉄道の夜』(宮沢賢治著、新潮文庫)の中で、”うつくし”という言葉は全部で以下のように12の場面で出てくる。
(1)そしてその地図の立派なことは、夜のようにまっ黒な盤の上に、一一の停車場や三角標、泉水や森が、青や橙や緑や、うつくしい光でちりばめられてありました。
(2)けれどもだんだん気をつけてみると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしくしく立っていたのです。
(3) ふりかえって見ると、車室の中の旅人たちは、みなまっすぐにきもののひだを垂れ、黒いバイブルを胸にあてたり、水晶の珠数をかけたり、どの人もつつましく指を組み合せて、そっちに祈っているのでした。思わず二人もまっすぐに立ちあがりました。カムパネルラの頬は、まるで熟した苹果のあかしのようにうつくしくかがやいて見えました。
(4) 早くも、シグナルの緑の燈と、ぼんやり白い柱とが、ちらっと窓のそとを過ぎ、それから硫黄のほのおのようなくらいぼんやりした転てつ機の前のあかりが窓の下を通り、汽車はだんだんゆるやかになって、間もなくプラットホームの一列の電燈が、うつくしく規則正しくあらわれ、それがだんだん大きくなってひろがって、二人は丁度白鳥停車場の、大きな時計の前に来てとまりました。
(5)けれどもあやしいその銀河の水は、水素よりももっとすきとおっていたのです。それでもたしかに流れていたことは、二人の手首の、水にひたったとこが、少し水銀いろに浮いたように見え、その手首にぶっつかってできた波は、うつくしい燐光をあげて、ちらちらと燃えるように見えたのでもわかりました。
(6)二人もそっちを見ましたら、たったいまの鳥捕りが、黄いろと青じろの、うつくしい燐光を出す、いちめんのかわらははこぐさの上に立って、まじめな顔をして両手をひろげて、じっとそらを見ていたのです。
(7)また窓の外で足をふんばってそらを見上げて鷺を捕る支度をしているのかと思って、急いでそっちを見ましたが、外はいちめんのうつくししい砂子と白いすすきの波ばかり、あの鳥捕りの広いせなかも尖った帽子も見えませんでした。
(8)向うの席の燈台看守がいつか黄金と紅でうつくしくいろどられた大きな苹果を落さないように両手で膝の上にかかえていました。
(9)まったく向う岸の野原に大きなまっ赤な火が燃されその黒いけむりは高く桔梗いろのつめたそうな天をも焦がしそうでした。ルビーよりも赤くすきとおりリチウムよりもうつくしく酔ったようになってその火は燃えているのでした。
「あれは何の火だろう。あんな赤く光る火は何を燃やせばできるんだろう。」ジョバンニが云いました。
「蝎の火だな。」カムパネルラが又地図と首っ引きして答えました。
(10)そしたらいつか蝎はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えてよるのやみを照らしているのを見たって。いまでも燃えてるってお父さん仰ったわ。ほんとうにあの火それだわ。
(11)ジョバンニはまったくその大きな火の向うに三つの三角標がちょうどさそりの腕のようにこっちに五つの三角標がさそりの尾やかぎのようにならんでいるのを見ました。そしてほんとうに そのまっ赤なうつくしいさそりの火は音なくあかるくあかるく燃えたのです。
(12)そしてたったいま夢であるいた天の川もやっぱりさっきの通りに白くぼんやりかかりまっ黒な南の地平線の上では殊にけむったようになってその右には蠍座の赤い星がうつくしくきらめき、そらぜんたいの位置はそんなに変ってもいないようでした。

というわけで、”うつくし”と云う言葉は12回中4回((9)、(10)、(11)、(12)のこと)も蠍座の形容のために使われていて、他の星座のためには殆ど使われていない。蠍座だけが突出している。それも、アンタレスの美しさを絶賛しているように感ずる。
 したがって、仮説
   ”宮澤賢治は蠍座、殊にアンタレスが大好きだった。”
の妥当性は結構検証できたのではなかろうか。この賢治の想いがあればこそ、『星めぐりの歌』でアンタレスを”あかいめだまのさそり”と詠って真っ先に讃えていたのでもあろう。そこで、私は次のようにこの仮説を言い換えたくなる。
   ”宮澤賢治は星の中ではアンタレスが一番好きだった。”
と。そういえば、清少納言は『星はすばる』と言っていたが、いまは石炭袋の「あすこの野原」にいるだろう賢治はおそらく『星はアンタレス』と呟いていることだろう。
 そう思っていたところ、『宮沢賢治-素顔のわが友-』(佐藤 隆房著、冨山房)の「25 星」の中に
 七月の末の晴れた晩です。星を眺めることの好きな、花城小学校の照井という先生は、当直のつれづれに校庭に出て天を仰いでいました。
 そこに思いがけなく、東京から帰って間もない賢治さんが、帽子もかぶらずひょっこり訪ねてきました。そして「あすこにあるのは何々星」、「こちらに見えるのは何々星」と片っぱしから星の名前を言うのです。星が好きでも、ただその光が好きだというだけで、さらに星学などには無頓着だった照井先生は、一度に新知識を得たように喜び、且つその博識に感心しました。またその間に、「あのさそり座というのは数々の星座のうちで傑作ですよ。あの光と形をご覧なさい」などと言いました。
 次の日です。賢治さんは朝っぱらからわざわざその照井先生を訪ねて、グルグル回すと、その月の天体が分かる仕組みになっている星座図を差し上げました。
 賢治さんは、すでに中学二年の頃から天体に興味を持ち、休みで帰ってきた日の夜なども二階の屋根の棟にまたがって星を眺めて喜び、書斎には紺色の大きな紙を張って、それに色々な星を張りつけて星座図をこしらえたりしていました。そんなわけで次第に星学に対して素人離れした知識をもつようになっていったのです。
 
という記載があった、宜なるかなと納得した。
 一般的には皆から嫌われているとさえ思われるような蠍座を賢治はこよなく愛していたのだと思うと、なんか少し切なくなってくる。

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4 コメント

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早速ありがとうございます (suzukishuhoku)
2008-11-30 14:15:36
今日は
早速教えていただきありがとうございました。

たしかに、賢治は花巻農学校の教諭をしていたとき樺太へ行っております。大正12年7月31日花巻を出発、花巻に戻ったのは8月12日のようです。

これからもいろいろと教えてください。
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賢治の樺太旅行 (地図豆のやまちゃん)
2008-11-30 13:34:38
資料が見つからないので、以下は、あくまでも、
宮沢賢治を研究する者からの聞いた記憶の話として。

賢治は、あるとき農学校生の生徒の就職活動のために
樺太に向かい、会社訪問します。そのとき乗車したのが樺太の北へ向かう鉄道でした(このときの行動資料があったはずですが?)。そこでは、少々の寄り道もしたようでした。
夜間の移動があったなら、列車の旅は、まさに漆黒の中を北を目指す汽車の旅でしたでしょう。
一方で、同地での一等三角測量は、明治12年から13年にかけて実施されていました(「測量地図百年誌」p82、p452など、国土地理院 日本測量協会)。

もし同時期なら、そのときに樺太での陸地測量部の測量風景に、そしてどこかの山から反射光にも、出合ったかもしれません。
といった勝手な解釈です。

返信する
ご訪問ありがとうございます (suzukishuhoku)
2008-11-28 20:48:08
今晩は
 訪問していただきありがとうございます。

 貴重なアドバイスありがとうございました。できましたならば、その辺の事情をもう少しお聞かせ願えないものでしょうか。

 お待ちしております。

 
  
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Unknown (地図豆のやまちゃん)
2008-11-28 20:10:43
ブログのログからここにたどり着きました。

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は、
樺太で北へ向かう鉄道に乗ったことを
きっかけとしていて作成され、
そのとき、周辺を測量する風景に出合った
のではないかというものもいます。

また、ゆっくり訪問・拝見します
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