会津八一に関するブログ 129
法隆寺と八一 2009・1・28(水)
『・・・(明治41年、初めて)法隆寺に行ったのは要するに、聖徳太子とそれに関連した史実を見たいという漠然とした気持ちで行ったのです。・・・法隆寺へ私が参ったら、今日はもう遅いから、明日来てくれという。それで宿をとったのです。・・・(翌日)聖徳太子というものを濃厚に頭に描きながら見て歩いた。綱封蔵の中なんかにも行きました。その前であの「みとらしのあづさのまゆみ」という歌が出来たのです。山代大兄王の戦のことなど思い浮べていました。日が暮れてから、私は夢殿へ参りました。』 (会津、亀井対談より)
敬愛する聖徳太子のこの歌を作ったのは八一28歳の時だった。
御遠忌近き頃法隆寺村にて(第4首) 解説
みとらし の あづさ の まゆみ つる はけて
ひきて かへらぬ いにしへ あはれ
(みとらしの梓の真弓弦はけて引きて帰らぬいにしへあはれ)
法隆寺と八一 2009・1・28(水)
『・・・(明治41年、初めて)法隆寺に行ったのは要するに、聖徳太子とそれに関連した史実を見たいという漠然とした気持ちで行ったのです。・・・法隆寺へ私が参ったら、今日はもう遅いから、明日来てくれという。それで宿をとったのです。・・・(翌日)聖徳太子というものを濃厚に頭に描きながら見て歩いた。綱封蔵の中なんかにも行きました。その前であの「みとらしのあづさのまゆみ」という歌が出来たのです。山代大兄王の戦のことなど思い浮べていました。日が暮れてから、私は夢殿へ参りました。』 (会津、亀井対談より)
敬愛する聖徳太子のこの歌を作ったのは八一28歳の時だった。
御遠忌近き頃法隆寺村にて(第4首) 解説
みとらし の あづさ の まゆみ つる はけて
ひきて かへらぬ いにしへ あはれ
(みとらしの梓の真弓弦はけて引きて帰らぬいにしへあはれ)
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