87歳の奈良の叔母が、通信教育の「随想」を勉強して小冊子「晩年の私」を作った。
「茶花・抹茶を楽しむ」の冒頭でこう書いている。『私の故郷は三重県四日市市。実家はお茶屋を営み普通の緑茶は勿論抹茶。抹茶、煎茶の道具一式を細ごまと美しくガラス越しに陳列している。若い頃四日市に帰り、駅を出ると有線が、いろいろ名文句を並べて「武蔵野園の爽やかなお茶をどうぞ」と宣伝していたものだ。・・・』
当時、一番街通りと公園通りの交差する所に近鉄諏訪駅があった。懐かしい風景だ。
喜びの桜、悲しみの桜を語る「桜の思い出」が出色、ページの都合上紹介できないのが残念だ。ともあれ意欲的な叔母の活動には頭が下がる。
「茶花・抹茶を楽しむ」の冒頭でこう書いている。『私の故郷は三重県四日市市。実家はお茶屋を営み普通の緑茶は勿論抹茶。抹茶、煎茶の道具一式を細ごまと美しくガラス越しに陳列している。若い頃四日市に帰り、駅を出ると有線が、いろいろ名文句を並べて「武蔵野園の爽やかなお茶をどうぞ」と宣伝していたものだ。・・・』
当時、一番街通りと公園通りの交差する所に近鉄諏訪駅があった。懐かしい風景だ。
喜びの桜、悲しみの桜を語る「桜の思い出」が出色、ページの都合上紹介できないのが残念だ。ともあれ意欲的な叔母の活動には頭が下がる。
私が下手な随筆を書き始めた動機は、子供たち(娘二人)に自分の小さい頃の事を聞かせてやりたい、との気持ちからです。太平洋戦争を隔てた半世紀以上も前の私の子供の頃は、今の時代とは文字通り隔世の感があります。過ぎ去った遠い昔の様々な事柄(良い事も悪い事も)を知って、子供らはどう感じるか。何を思うか。
私の拙い文章では、そんな大それたことを望むのは、身の程知らずかもしれません。自己満足とは察しつつも、少しずつ書いています。お笑いください。
叔母上の随筆を是非読みたいですね。