SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

ゼロアカする

2008年08月27日 | Weblog
 少なくともそれが日本語のカタカナで「ゼロ」と同じく表記される以上、ゼロアカ(ゼロ年代のアカデミズム)はZero AcademismであるとともにXero Academismでもあるだろう。70年代のゼロックス社パロアルト研究所(Xerox PARC)でアラン・ケイ達が夢見た世界、そのゼロ・グラフィ(Xero Graphie)な夢が、このゼロ年代の「乾いた」想像力を準備した。殉教者デリダは「ゼロックスXEROX」についてこう語る。

>同じことが言える。Xはほとんどフランス的な文字ではない。しかし、ここで『複製技術時代の芸術作品』に言及するため、私はXEROXを想起する。Rank Zeroxランク・ゼロックス、この複製機生産に特化した企業の固有名は、合衆国で、代替不可能な普通名詞、むしろ動詞を、このうえなく普通の動詞to xeroxゼロックスする[コピーを取る]を与えたばかりではないということを記しておく。私にとってこの固有名詞は、乾燥に向けて、合図を送り続けているのである。xerosはsec乾燥しているという意味である(アルジェリア、スペイン南部、南カリフォルニア、砂漠、遊牧と歓待等々。secは私が『著名・出来事・コンテクスト』でおおいに用いた語、頭字語である)。映画はXero Graphieゼロ・グラフィ(接触せずに資料を複製する技術)である。〈作者〉はそもそも〔d′ailleurs〕このことをI′ailleurs異境、xenophilie異境愛好、異境への愛、歓待の掟についての一篇の詩にしたのである。(ジャック・デリダ+サファー・ファティ著『言葉を撮る』184ページから抜粋)