SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

静かな世界観のうちに

2008年08月17日 | Weblog



 公開中のナイト・シャマランの新作『ハプニング』を観て思うのは、相反してコンピューターと植物はどこか似ているのかもしれない、ということだ。コンピューター環境の人工的な「速さ」と、植物環境の自然的な「遅さ」は、ここで人間的なリズムを超えた次元で同期しているのではないだろうか。
 この映画には、我々がふだん「携帯電話」と呼ぶ超小型のネットワーク・コンピューターを使うシーンが多く見られる。そしてテロ説などが否定され、はじめて植物圏の異変が説かれるシーンでは、その背後で二基の原発が不穏げに映っている。誰もがただちに「原発事故か?」と考えてしまうのは、そこに見えているのが原発であるとすでに知っているからだ。しかしシャマランがこの映画で描いたのは「見えない脅威」である。いわば原発の発明なしで原発事故だけが起こっているような事態だが、なにしろこの未知の脅威による人類の滅亡は、原因解明とその対策を待つ間もなく、あっという間に進行するのである。それは植物史はむろんのこと、人類史からみても、ほんの一瞬の出来事である。
『自殺へ向かう社会』という著作もあるフランスの思想家ポール・ヴィリリオをフィーチャーした番組『事故の博物館』で浅田彰は、原発事故についてこんなことを言っている。「テクノロジーの進歩は事故を時間的にも増幅しました。たとえば原子力の問題。原子力エネルギーで石油の代わりになるならないというのは数十年単位の問題なのに、いったん大規模な原発事故が起こった場合、その放射能汚染の影響は、百年、場合によっては千年単位の問題とさえ言われている。しかもそれが、ほんの一瞬のシステムの暴走によって生ずるというわけです」
 一瞬にして壊れる。これがテクノロジーの持つ本当の「速さ」というわけだが、この「速さ」は、遥かに長い植物的な時間の持つ「遅さ」のうちに「静か」に引き伸ばされるのである。
 
>〈他なる無意識〉が私たちにごく近いところに位置を占めた瞬間から、私たちの言葉を自由勝手に扱うことができるかのようです。そして同時に私たちの言葉を中断させ、破壊することもできるかのようです。私たちはこれを、沈黙した意識として保持します。そしてなにか事故が起きる危険性がつねに私たちを脅かしています。タイプライターや羽ペンと比べると、コンピューターでは事故の危険性がはるかに高いのです。ちょっとした停電、うっかりした操作、ぎこちなさ、それだけで数時間の仕事の成果が一瞬のうちに消え去るかもしれないのです。......いわば自発性、自由、流動性が過剰なのです。そのために危うさ、脅威にさらされているという感覚、あるいは静かな苦悩にひたされているという感覚が高まります。......(ジャック・デリダ著『パピエ・マシン』上巻300ページ「他なる無意識」より抜粋)

 ナイト・シャマランは日本のファンに向けて「90分間の上映時間を通して、パラノイア(妄想的)な体験をしてほしかった。静かな世界観は、日本人の美意識に合うと思っています」と語っている。植物とテクノロジーの国、日本では10年来3万人を超える自殺者を出しているのである。