SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

涙の理由

2008年07月01日 | Weblog
>このようにスケール・エラーという現象が月齢20から24ヶ月ぐらいで観察され、また消えてしまう。ある意味ではこの子たちは『不思議の国のアリス』の世界に住んでいる。こういう現象がどうして起こるのか、まだ定説はないけれども、ひとつの有力な説として、後で議論する身体との関係を無視して、シンボルの世界が暴走する、結果として物のスケールを無視しておもちゃの車と実物の車を混同してしまう。これは、人間だけが持っている能力で、動物は間違えない。人間は、それを同じ車だと思うことができる。(「キャラクター創造力研究会第5回」より茂木健一郎の報告から抜粋)

 3年前のまだ科学者だった頃の茂木健一郎から応答が来た。しかしスケールを間違える能力が人間だけのものであるのならば、泣くことを知っているのも人間だけの能力だ。動物はスケールを間違えず、そして泣くことを知らない。『盲者の記憶』で脱構築の殉教者はこう言っている。

>あらゆる動物の目が視覚へと用途づけられており、そしておそらくはそのことによって、「理性的動物」の観察的知へと用途づけられているとしても、人間だけが、見ることと知ることの彼方へ行くことを知っている、というのも、ただ人間だけが泣くことを知っているのだから。「だが、ただ人間の目だけが泣くという潜在力を持っている。」(《But only human eyes can weep》アンドルー・マーヴェル) 彼だけがそれを見ることを知っている、彼、すなわち人間だけが、それ、すなわち、涙こそが目の本質であり、視覚ではないということを。(ジャック・デリダ著『盲者の記憶』(みすず書房)154~155ページより抜粋)