セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」について、研究家のリオネルロ・ヴェントゥーリ(1885~1961)は、「この山は遠ざかるに従って精神性を獲得し、セザンヌにとって天上へのあこがれとなる」と述べている。なるほど確かにセザンヌの信仰した山は、その画に唯一の遠近感(の根拠)を与えるべく「遠く」に描かれている。それとは対照的に多くの場合、前景に迫り出しつつある混乱した周辺の大地は、何か言い知れぬ「近さ」を露呈している。余白を塗り残した絵具の即物性が、その「近さ」を強調する。やはり研究家のマイヤー・シャピロによる「反転したこだま」というこの大地の有様への喩えを借りれば、この山の精神性は逆に「こだまの反転」として獲得せうるだろう。ではその「信仰」をもたらすエコー(こだま)は、セザンヌの画の中でどのように「近さ」から「遠さ」へと響いているのか。私たちの場違いなセザンヌ研究はまだまだ始まったばかりだ。