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クラシックギター教則本の話2

2020年12月05日 | Weblog
 60歳を超えてから改めてクラシックギターを弾くことに決めた。
若い頃には数年間程度クラシックギターを弾いている経験はある。
その後は所謂アコギでコード進行のストローク中心の弾き語りを続け、ピッキングはスリーフィンガー、アルペジオなどと、簡単なソロ演奏も弾いていた経験もある。
なので、クラシックギターを改めて弾こうと思ったのは、単なる思い付きでもない。 以前からギターは当時購入したギターも温存していたので、弾こうと思えば弾ける状態であった。 しかし、結局は30年近い年月の間に弾くことから遠ざかり、今に至った訳である。 
このコロナ禍の中で家で過ごす時間を充実させるものを探すまでも無く、私はギターをもう一度初心者と同然の本当に1から始めることにしたのである。
その為に、当初から所持していたクラシックギターではやはり上達するには音質が貧弱である事から、新しくギターを購入した。 もちろん、これもそれほど高額なギターでもないので、本格的な演奏となるとどうかな? とも思うけど、少なくとも、ある程度の音色を出してくれている。
さて、最初から始めると言っても、レッスンを専門家に師事して始めるにはちょっと予算的にも無理もある。
もちろん、以前から一度もギターのレッスンを受けた事も無いけど、クラシックギターと言うと、どうしても専門の先生に師事して習うことが当然のように言われているし、レッスンを受ける事の方が確実に上達するし、基本的な弾き方や悪い癖などを修正することも出来るので、可能ならレッスンを受ける事が望ましいだろう。 
でも、私のように余裕が無い人間に取って、1回のレッスンが数千円(およそ5000円以上だろう)を支払うのはちょっと敷居が高い。
ピアノのレッスンも同じだろうけど、楽器を習うことはそれほど安く無いのである。 だから、昔からそうだけど、楽器(多くはピアノが主流だけど)を習っている幼児の多くはある程度裕福な家庭がほとんどである。
私も幼い頃には同じ同級の女子がピアノを弾いている事を憧れを持っていた。
私の家はピアノなんて置けるような場所もないし、ましてやピアノを習うような余裕など微塵も無い家庭だったので、まっ、当たり前のように楽器を習うことなんて想像もしていなかった。
中学になってから、姉が誰から譲って貰ったギターが家にやってきて、姉が毎日弾いているのを見て、私もギターを弾くようになった。
当時はフォークソングが主流の時代で、多くはコード弾きで弾き語りの伴奏程度のギターだった。
私はクラシックギター(ピッキングが上手くなりたい、ソロ演奏をしたい)と言う思いもあり、アコギよりクラシックギターを購入して、昔の通信教育でギターを練習していたのである。
当時はネット環境が有るわけでもなく、所謂レコード盤と譜面のテキストのみの練習だった。 それでも、とても楽しく練習を続けていたけど、その後はアコギで友達などと一緒に演奏して楽しむことが主となり、クラシックギターから遠のいてしまったのである。
今思えば、継続して続けているべきだったと後悔しているのである。
で、それは得角として、今回改めてギターを弾き始めることにしたのだけど、初心者に向いている良い教本をいろいろ捜していて、「カルカッシギター教則本」がやはりメジャーな教則本だと信じて、購入して、別売りのCDも購入して、見本演奏を何度も聴ける環境を整えることにした。
さらに、もう一冊別の教則本を購入して、こちらはサブで練習する為にはとても良いと思ったので、メインのカルカッシ、サブの練習として続けている。
こちらは少しハードルが高い気もするけど、内容的には初心者から中級者レベルだろうと思う。 ただし、やはりメインの教本の練習がほとんどで、なかなかサブの曲をマスターする時間が足りていない。 
まっ、こちらはいずれにしても、メインの教則本の進捗状態で、ある意味では簡単にマスターできるだろうと思って居る。さて、そんなわけで、再度ギターを弾き始めてから4か月が経過した。
4か月目なんてものは、当時ギターを弾き始めた頃を思い出すと、本当にまだ指の先も固まっていないので、痛みを感じる程のレベルだ。
私はこの4か月目でカルカッシ教則本の8曲目を終わらせる程度まで進むことが出来た。 これはやはり、以前からの経験が生きている思う。
この本は3部に分かれていて、1部を約1年で終了するように構成されているらしい。 もちろん、個人的な上達の進度が違うし、練習する時間が取れない人と、毎日数時間も練習する時間を取ることが出来る人では相当な差が出来るのは当然だろう。 1部で凡そ24曲程度の曲があるので、月2曲を制覇する必要がある。 これは意外と難しく、私は8曲目を練習しているけど、実際には完璧に弾き熟すまで次の曲に進んでいる訳でもない。
ある程度、休むことがない程度に終わりまで弾ける程度のレベルになった時点で、次の曲に進むようにしている。 
それでも、毎回の練習の始めは基本的なスケールの練習と、2,3曲前の曲を弾き、指をしっかりと慣らすことをしている。
終了した曲も数日間弾くことが無いだけでも、以外と覚えてい無し、弾けない個所もあるので、そうした自分が不得意とする個所を何度も練習することで、自分の苦手個所を克服することにしている。
新しい曲も同じだけど、どうしても難しい個所と簡単に弾ける個所がある。
凡そ弾けるレベルになっても、どうしても毎回苦戦する場所があるので、その個所を何度も何度も弾くことで技術的には何とか克服する事が出来る。
音楽的な、所謂、芸術的な面に関しては、今はそうした事を考慮するほどにはレベル的にないので、それほど気にすることも無いだろうけど、出来る限り、お手本の音やテンポやニュアンスで表現できるように思って居る。
私は言うまでも無く、この先、プロになるとか、人前で演奏するとか言うような大それたことは思って居ない。 しかし、自分でも、気持ちよく感じる程度のレベルにはなりたいし、難しい曲やポピュラーな曲を完全に弾けるようになりたいと願って居るので、そうなるためにもいい加減な練習や悪い癖を付けないように気を付けて練習をしている。 
独学で一番悪い点は自分の悪い癖を見つける事が難しいという点だろう。
運指にしても、どうしても自分の癖で弾いてしまうことになるし、無駄な運指をそのまま続けることもある。 上達するためにはどうしても、そうした点を細かくチェックして進める事が大切だろう。
姿勢は勿論だけど、弦を押える手の形や指の形などは将来的に壁を克服するためにはとても重要な事だ。
本来は自然な形で弾けることが一番良い姿勢に違いないのだけど、その力を抜いて自然な形を維持するのはとても難しい。 どうしても、弾き難い時や素早い動きを求められる時には力も入るし、正確な押弦が出来ない事になる。
何度も何度も弾いているうちにそうした特に指運などは自然に出来るけど、その点は譜面に忠実に弾くことが大切だし、それ以上により効率的な動きを自分で見つける事が大切だろう。
右指で弾く指も同じだ。 譜面には指定された指が有るけど、それ以外にも自分の自然な動きで弾くことが大切だろう。 どうしても譜面通りじゃないと行けない訳ではない。 サブの教本は指定の指で弾くことが基本だが、自分なりの心地よい指で弾くことも勧めている。
やはり、個人的に誰でも自分の持っている個体差があるので、譜面が全てと言うことではない。 あくまでも、手本としての譜面だし、もっと言えば、音楽はあくまでもその表現性が大切で、譜面に表すことが出来る事は限界がある。
曲を弾く表現者に委ねられている点では、音楽の芸術性はある意味では演奏家に任せられていると言っても良いだろう。
絵画などは見る人間の感性に委ねられているだろうし、その他の芸術の多くは表現者と受け取る側の感受性が必ず一致しているとは限らない。
芸術とはそうした意味では、芸術家の意図した物とは違った評価を受ける事は当たり前だろう。 しかし、芸術の本質はそうした受け取る側の心理はあまり期待していない。 本来、芸術作品は誰かの為ではないからだ。
芸術作品の本当の意味は作家個人の思考や模索、概念や感覚、生き様や生きた証としての産物である。 そうした産物(これは音楽や絵画などのある様式にを用いた表現手段)を他者に与える影響は当然、それを受け取る側の数だけ存在する。 
真実とは人の数だけ存在することを理解する必要があるだろう。 もちろん、他人を陥れたり、脅迫したり、傷つける事が目的とした物や、お笑いを意図したり、社会を風刺するような物を芸術とは言わない。 そうした、意図した作品は芸術ではない。 作家の意図した物なんてものは、結果的には単なる自己満足でしかない。 なぜなら、そうした物であろうとなかろうと、他者に自分の意思が忠実に伝わるような物はこの世には存在しないのだ。
作家が意図することが無いその作家の内なる物が溢れるように流れる物。 それが本来は芸術という領域にある物である。
芸術家になるために必要な物を探しても見つからない。 芸術家は生まれつき芸術家としての資質を持って生まれている。
努力して身に着けた教養や技術や知性などでは芸術の領域には達することは出来ない事を知るべきだろう。
多くの人はこうした事をなおざりに考えるのである。 例えば、どんなに精巧な作品も量産品や日用品である以上はそれは工芸品であり、芸術作品は無い。
ギターも同じだけど、あくまでも実際に使用して、ギターなら音楽と言う芸術を表現する為に使用する物でしかない。 どんなにその作りが素晴らしい物でも、それはあくまでもギターであり、芸術ではない事を認識するべきだろう。
ちょっと、話がそれたけど、私には芸術家としての才能も資質も持ち合わせていないだろうと思って居る。 どんなにテクニックが上達しても、本当に感動させるほどの豊かな音楽を奏でる事は出来ないだろう。
もちろん、ギターを弾くことが楽しいし、今後は私の生涯の生き甲斐である。
弾いている事に意味があり、その結果はあまり意味がないのである。
もちろん、結果論として、脳の活性化や生きていて楽しいと言う気持ちをもたらしてくれることは結果としての効能かもしれないけど、それが目的で弾いている訳でもないし、そうした目的なら別の事をしているだろうし。

さて、では今日は仕事も休みだし、ギターの練習も3、4時間は可能だ。
筋トレもしっかりと出来るし、明日も休みなので、2日間は自分の為に時間を使える。 



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