summer diary

日記らしきページ

難しい? いやいや・・

2024年06月16日 | Weblog
 ギター講座の新しいテキスト(中級の下巻)を頂いて、早々に最初の曲に取りかかっている。 メロディーだけを弾いて居ると、なんだ~~っと、簡単ではないか??などと思って。 さて、そこに伴奏を入れて弾くとだ・・・。 運指もそうだけど、右指をどうするか・・・。 これはある意味では自然に爪弾く事が出来る指で良いだろうとおもうけど。 左の運指、押弦の手順・・・手順と言うと、 なんだか作業手順の様に感じるので、手順と言う言い方はあまり好ましくない? しかし、これがとても重要な作業だ。 左指をどのように動かして、どのように移動して、どのようなセーハをするのか・・・。 譜面には一応は指定されている押弦が記載されているが、これをそのまま鵜呑みにして弾く事も無いし、自分がもっと良いだろうと思える運指(押弦の順序や準備する動きと言っても良いだろうけど(手順だろう))を決める事から始める。 
これは私の何時もの手順・・・と言うか、曲の譜面に記載されている運指や押弦の指定されている指とは別に、自分としてはこの運指の方が良いとか、この部分はセーハで、この部分は単独で・・・などと思考錯誤して決めるのである。
譜面に記載されいる運指や押弦の指定指はあくまでも参考だ。 どのように決めて居るのかは、その譜面を書いている編集者なのか、それとも、演奏者なのか、それとも、昔からの押弦、運指を踏襲しているからなのか・・・? 
今回も最初の曲の運指や押弦の指定で弾く事は当然だが、いやいや、それ以上にもっと楽で無駄の無い運指や押弦の指定されている指に変更する事は大切な私のギター演奏をする為にはともて大切な事なのである。
譜面の音符やテンポを忠実に演奏する事は当然だが、運指や押弦は個人の自由だと私はお持って居るし、これまでも実際にギター講座の譜面を手直し(私なりに錯誤した結果の運指に変えるのである)して弾く事が多々ある。 
これは講師の運指なのか、それとも、何かのタイミングでそうした運指として、譜面に記載されているのかは解らない。 
私はこれまでもカルカッシ教則本の曲の課題曲では完全に譜面に記載されいる運指を守っているが、それはこの教本の素晴らしさだと思っている。 なぜなら、繰り返して弾いていると、譜面の記載されている運指が無駄の無い、スムーズな演奏のために指定されている事に気づくのだ。
ソロギター講座の課題曲でも、最初はなんだ? おかしいのでは? と思える運指や指定押弦なども、繰り返す毎にその適切な運指に気づくこともある。 
がしかし、それでもやはり、ここはこれだろうと・・・自分なりに思う箇所も有るので、譜面には手書きでいろいろと書き足しているのである。 
これは私だけのやり方では無いし、プロの譜面なども手書きのメモが数多く記載されている。 音楽はギターに限らずだが、その演奏する楽器を使い熟す・・・事は当然だ。 演奏する為に必要な楽器を熟知して、熟練して、技量を高め、音を究め、音楽としての芸術性を高め・・・と、人間が求める芸術としての洗練された、精神が込められた、作曲者の意図をそのまま表現する事が出来るなら、演奏家としては本望だろう。 
もちろん、既存の曲を表現する事だけで無く、オリジナルな曲の演奏や、即興的なアドリブを交えたjazz的な要素も音楽の魅力に違いない。 
さて、もちろん、私はプロでも無いし、アマチュアでもまだまだ初心者から少し脱した程度である。 しかし、これまでの経験から譜面を読み解く事や、ギターの運指をどのように構成するのか・・・などを常に思考しながら練習をする。
譜面を鵜呑みにはしていない。 それは、曲の雰囲気をどの程度伝える事が出来るのか、自分がどの程度のレベルで曲を弾きこなせるのか・・などと思うからである。 

今日はバイト明けの日だったので、帰宅してから食事を済ませてから、リビングの模様替えをして、昼前に少しギターを弾いて過ごした。 午後も少し弾いて、ギター講座の新しい曲の運指を一応は完成させて、今はのんびりと過ごして居る。 休憩中だ。 
午後も少し弾いて、譜面には数カ所に手書きのメモを書き込んで、ようやく、なんとか、自分の考えて居る運指を決める事が出来たので、今はのんびりと過ごして居る。