summer diary

日記らしきページ

暖かい雨の土曜日

2016年02月20日 | Weblog

 今朝目が覚めてベッドから起きると一階の台所へ煙草を吸うために降りて行った。 
煙草を1本口に口に銜えてジッポーで火を点けながら外の様子を伺うと、ポツリポツリと雨が降っている。
「やっぱり今日は天気予報通りに一日中雨なんだな」と胸の内でうなずいた。 
煙草を半分も吸い終わらない内に雨は強くなってきて、本降りになった。 

「やれやれ、本降りになってきたな。」と今度は声を出してうなずいた。 

最近は天気予報の的中率はかなり向上しているし、今は数分毎の雨雲を確認できるスマホのアプリもある。
後どれぐらいで雨が降ってくるのかもほとんど誤差が無いほどに正確に知ることができる。
だから雨が降ってきても

「やっぱり雨が降って来たか~」と思い、以前のように雨が急に降って来た時のような気持ちはそれほどなくなっている。
今は雪などが降った時ぐらいに「雪が降って来た!」と言うある意味驚きの感情には雨ではならない。

まだ幼い時には雨が降って来た時なんかは、「あれ~、雨になってきた~」とか「傘持ってきてないけど、どうしよう」とか、
雨でいろいろな感情や感動を覚えることができた。
大人になり、IT関連の機器の性能や気象衛星などの高性能化のより天候の変化を事前に知ることができるようになって来て、
便利で快適な生活が送れるようになっている。 その分、失って来たものも感じる。 感動や喜怒哀楽の感情などはなんとなく薄れて行っているような気がしてならない。

事故や事件なども、今やTV、ネットでも常時知ることができるし、犯罪なども今は巷に溢れていると言ってもいいほど増えている。
老弱男女を問わず、最近は殺人事件が多い気がする。 男女間、老人同士、若者同士、若者と老人、小中学生や高校、大学生。
警察、医師、先生なども例外ではない。 どこでどんな人間がいとも簡単に人を殺してしまう事件が多い。
特定な人は言うまでもなく、「誰でもよかった」と言うような動機も多い。 

誰でもいい? 人を殺すのに特別な感情なんて要らないようなこの動機。 ちょっと理解できない感情だなと思う。
「むしゃくしゃしてやった」とか、「人を殺してみたかった」とか・・・。 最近の殺人事件の中にはこんなことで人を殺すことができてしまう人間が居るんだ。 と、呆れかえるような、まったくその感覚が理解できない事件がある。

これは雨が降ってくることを事前に周知していて、「やっぱり雨になったな」と思う感覚に似ているような気がする。
おそらく、誰でもいいとか、殺してみたかったとかの感覚で人を殺してしまうのは、すでに自分の殺人のイメージを体現しているか、
ある程度予想できているからだろうと感じる。 
本来、普通の感覚ではで来るはずもない行為がいとも簡単にできてしまうのは、何度もそのイメージを繰り返して体現しているからだろう。 
そんなことをぼんやりと考えながら雨の降る様子を見ながら、煙草を吸っている。

今日は一日雨だけど、ちょっと出かける。 妻と二人でショッピングモールに出かけて、ウインドショッピング。
女の人はこのウインドショッピングが好きな人が多い。 特別何かを買う目的が無くてもいろんなショップへ足を運び、あれこれと見て回るのだ。 これが結構疲れる。 がしかし、これもまあ、いい運動だと思えば妻に就いて歩き回るもの時にはいいかと。
それに、休日は特別やることもないし、家で昼からビールや焼酎を飲んで寝転んでいるよりはちょっとは健康的だろうな。